第173話 仏像はどこから来たか?
濱田 恒志 専門研究員
(2025年7月2日投稿)
古代出雲歴史博物館の収蔵品の中に、1つの小さな仏像があります。

銅で造られていて、高さは10.1センチ。右手を高く上げているのが特徴で、お釈迦さまが誕生したときにこのようなポーズをとったという言い伝えに基づいています。作風から奈良時代・8世紀頃に造られたと考えられ、出雲に伝わる仏像の中でも屈指の古像として貴重です。
さてこの仏像、貴重な理由は「古い」ことだけではなく、もう1つあります。それはこの像が今からおよそ60年前、出雲市大社町内の土中から見つかったと伝えられていることです。
大社町はいうまでもなく出雲大社のお膝元の地域であり、古来、神への信仰が盛んでした。そこから仏像が見つかったということは、出雲大社の周辺では神道だけでなく仏教も営まれていた、ということを意味しています。そのことを語るただ1つの古代の仏像として、この像は他に替え難い価値を有しているのです。
しかし、ここで1つ注意しなければならないことがあります。この仏像はとても小さいため、持ち運びが簡単です。この仏像が大社町内の土中から見つかったとしても、造られた当初から大社町にあったかどうか、確証はないのです。
この像が造られてからおよそ400年後の平安時代末期、日本では「末法思想≪まっぽうしそう≫」が流行していました。これは、お釈迦さまが亡くなってから時間が経ちすぎたことにより、仏教の正しい教えが失われてしまう状態が訪れると考えた思想になります。そこで当時の人々は、石や銅で造られた丈夫な容器にお経を入れて土中に埋めるとともに、場合によっては銅造の仏像や仏具も埋めて、何とか仏教を後世に伝えようとしました。これを経塚といいます。
ただし平安時代には、仏像の材料の主流は木であり、銅ではあまり造られなくなっていました。そこでお経と共に埋める像として選ばれたのが、飛鳥・奈良時代にたくさん造られた銅造の小像だったのです。
経塚は著名な霊場の近くに築かれることが多く、出雲大社周辺にもその形跡が確認されています。今回ご紹介するこの像も、もともと造られた場所は別にあり、末法思想の流行のなかで大社町にやって来て、そこへ埋められた可能性があるでしょう。この像はまぎれもなく古代に造られたものですが、大社町内で見つかったことの意味は、実は古代ではなく、中世にあるのかもしれません。