研究員の日記

第24回隠岐国巡廻講座を開催しました!

2022年9月9日の日記  岩本真実 特任研究員

島根県古代文化センターでは、隠岐に関する研究成果を皆さまにお伝えすべく、年に1回、隠岐の各島で講座を開催してきました。ここ2年はコロナ禍にありオンラインで配信していましたが、今年は3年ぶりに隠岐で開催する事ができました。

第24回となる今回の開催地は西ノ島。『古代隠岐の形成と特質』という研究テーマの一端を皆さまにお伝えしたいと思い、講師に大阪大学大学院人文学研究科教授の市大樹先生をお招きしました。市先生は『日本書紀』といった文献はもちろんのこと、奈良の都などで出土した大量の木簡を読み解き、古代の支配制度や交通について研究を進めてこられた、その道の第一人者です。

市 大樹 先生

講座のタイトルは『隠岐の古代史を探る-律令国家の「前線基地」-』。講座の前半では、古代の隠岐から都へ運ばれた貢進物は島後の内陸でさえ海産物がほとんどで、志摩国(三重)と似て他国よりも海産物に特化した国であることが紹介されました。現代の私たちの感覚にも通じるような、隠岐の豊かな海産物への期待が感じられます。

転じて後半はやや不穏ともいえる内容でした。日本と新羅の関係や唐と周辺諸国との関係が悪化すると、隠岐が新羅との境界領域として認識されたことを示す多くの例が紹介されたのです。隠岐に(とぶひ)(軍事的な危機を煙で知らせる通信手段)を設置するように促す文書が再三作成されたり、境界を見渡す高所に四天王像(国土の守護に威力を発揮すると考えられていた仏像)を安置させたり、弩師(どし)(台座の付いた弓のような威力の強い武器「弩」の教習や製造・調整を担う人物)が全国に先駆けて隠岐に配置されたりと、隠岐が非常に緊張感の高い地域、まさに「前線基地」であったことがわかりました。

古代の歴史ではありますが、私たちの暮らす現代も海を介して接する国の戦争や飛来物の情報が飛び交う社会です。前線基地とされた隠岐の歴史を知ることは、平和な世界を考えるためにもとても大切なことではないでしょうか。

余談ですが、台風の影響で隠岐行きの船旅はフェリーが大きく揺れた上に空は曇り遠方の見えない不安なものでしたが、帰りはほとんど揺れずに前方には大山も見えて安心できました。講座では、都から隠岐までの行程は出雲までよりも20日も長く設定され、天候や交通の障害が想定されていたのではないかというお話もありました。また海で風のために方向を見失い水夫が波にさらわれるという古代の記事も紹介されました。行き先が目視できず高波に揺れる船旅は現代のフェリーでも不安に感じるもの。古代の人々は慎重に風雨を避け、万全を期して隠岐と本土とを往来する日程を組んでいたのではないかと思いました。

この講座は、古代文化センターのホームページで公開予定です。ただいま編集中!この講座を聞き逃した島根の古代史ファンの皆様、今しばらくお待ち下さいませ。

フェリーから振り返って眺めた島前の島々
中央近くに美しくそびえるのは西ノ島の(たく)()

フェリーの先に大山を眺める
目標が目視できると何となく安心・・・