研究員の日記

県内最古級の前方後方墳!?名分丸山1号墳の発掘調査速報!

2023年1月11日の日記  吉松優希 主任研究員

みなさんは松江市鹿島町に県内でも最古級の前方後方墳があるのを知っていますか?

古代文化センターでは、11月~12月にかけて鹿島町の名分丸山1号墳の発掘調査を行いました。

中央下の丘陵の↓部分に名分丸山1号墳が所在します。写真奥には日本海が見えます。

名分丸山1号墳は約40mの前方後方墳で、昭和57(1982)年の測量調査によって、バチ形に大きく開く前方部をもつことから県内でも最古級の前方後方墳と考えられていました。

名分丸山1号墳全景(奥が前方部)

今回の調査によって様々な調査成果を得ることができました。

① 埋葬施設(木棺が陥没した落ち込み)2箇所を確認

② 棺上に供献された土器を確認

③ 前方部がバチ形に開く墳丘形態を確認

④ 墳丘の築造方法を確認

木棺陥没痕跡検出状況(←部分・点線は推定ライン)

これらの成果で注目されるのが、埋葬施設にかかわる木棺の陥没痕跡を確認したことと、前方部がバチ形に大きく開く古墳の形であることが判明したことです。

陥没痕跡の確認から、2基の埋葬施設が設けられていることが分かりました。一方の陥没痕跡の長さは約4mありますが、実際の木棺はより大きなもので、長大な木棺が納められていたのでしょう。また、わずかながら土器片が出土しており、古墳の築造された時期を考える上で重要です。

また、前方部前端付近で大きく開く形態は出現期の前方後円墳・後方墳に採用されることが多い形です。

出土した土器と古墳の形から、名分丸山1号墳が古墳時代前期に築かれた、出雲地域では出現期にあたる前方後方墳のひとつであることが明らかになりました。松江市鹿島町域は日本海に開け、弥生時代から広域交流が活発に行われた地域であり、ヤマト王権と出雲地域との交渉過程を示す重要な手がかりが得られました。

12月18日には雪がちらつく寒い中で現地説明会を行いました。
白いひもが前方部のライン

さて、この古墳にはどのような人物が葬られていたのでしょうか。想像は膨らむばかりです。今回の調査の様子は当ホームページで動画をアップロード予定です!ぜひご視聴ください。