安来市広瀬町の富田城関連の山城調査に行きました
2023年4月18日の日記 廣江耕史 特任研究員
4月も中頃、桜も終わり山は新芽が芽吹き始めています。先日、安来市広瀬町に山城の調査に行ってきました。夕方に雨が降るという予報だったので多少蒸し暑い感じがしました。山に入ると木が生い茂っており、直射日光はさほど気になりませんが、斜面の登り下りを繰り返すのでかなりの汗をかきながら歩き回ります。9時に広瀬庁舎の駐車場を出発し、北側の丘陵を目指して宗松寺の墓地からいよいよ山登りを開始です。墓地は斜面を上った所にあり、町を挟んで南側に富田城が見えました。
最近の山城調査では必須の赤色立体図という三次元計測による測量図を頼りに丘陵の尾根を歩いて行きます。図面の白い部分が現地に行くと平坦に加工されており、城の郭と呼ばれる場所です。以前の調査では、地形図を頼りに現地を歩くためかなり広範囲に歩く必要がありました。今は赤色立体図の白い場所を目指していけば加工された郭の可能性が高いために効率よく調査ができ、平坦地の範囲もメジャーで測る必要がなく、赤色図にトレーシングペーパーという半透明の紙をかぶせて線を書き込むという作業で城の縄張り図を作成できます。 ここで山城調査の七つ道具を紹介します。赤色立体図、筆記用具、メジャー、水筒、弁当、リュック、熊鈴、杖です。
弁当はおにぎり持参です。杖も必需品で木の枝を拾って使います。斜面は下る時は良いですが登りはキツくて心臓がバクバクです。杖を使わないと、ももの筋肉が震えて休憩しても歩けなくなります。今回は丘陵尾根が四方八方に伸びており何度もアップダウンを繰り返す状態でした。調査は3人で歩きましたが、20代、50代、60代と年齢が上がるほどしんどくなります。富田城周辺では熊の目撃情報はなく、幸い今までの調査でも遭遇することはありませんでしたが念のため熊鈴も持ち歩きます。鉈は熊との格闘用!、ではなく枝等を切るためです。
富田城周辺の山城調査は、一昨年から開始して今回で5回目です。今までは富田城の北側にある京羅木山の城を歩きましたが丘陵部のほとんどに戦国時代の城造りの痕跡が見られました。
今回はより富田城に近い場所で尾根上に加工が見られ、星上山、京羅木山につながるルートを見張る様な位置にあり、尼子氏と毛利氏の戦いの激しさがうかがわれました。山を歩くだけでも足の筋肉が悲鳴を上げる状況で、当時の戦がいかに壮絶なものだったのかという思いを巡らせる調査となりました。