わたしの「お宝」履歴書
2023年8月28日の日記 矢野健太郎 専門研究員
島根県古代文化センターでは、考古、歴史、民俗など様々な分野の資料の調査をとおして島根の歴史や文化の研究を進めています。ちなみに私は古文書の解読などから歴史を考えることが専門で、今年度より幕末維新期の島根の研究を行っています。
古文書を読むという作業は、タイムマシンが発明されていない現代において、過去に生きた人との対話ができる唯一の方法だと思ったりしながら、想像力を働かせて、日々古文書を読んだりしています。
こうした古文書と出会うには、主に所蔵している機関(文書館、博物館、図書館など)に行って調査をすることになるのですが、たまにそれ以外の場所でも出会うことがあります。そのひとつが古書店です。みなさんがよくご存じなのは、磯田道史さんが古書店で発見した古文書から、『武士の家計簿』を書いたことではないでしょうか。
そんな私も、ある時、某所の古書店で少しおもしろい古文書に出会うことができたので、少し紹介したいと思います。
まずは、日付、差出人と宛先についてみてみましょう。この古文書は6月28日に「荒井助市」という人物が出した文書であることが分かります。この荒井助市という人物について少し調べると、天明元年(1781)から寛政3年(1791)まで松江藩の郡奉行を務めた人物であることが判明しました。宛先の村上喜一郎、岩佐文左衛門、小川杢大夫は代官を務めた人物だと考えられます(3名とも荒井の後の時代に郡奉行を務めていました)。
つぎに、本文について解読してみました。概要をまとめると、① 銀山附幕領大家村(本文では大江村)の権六の娘きよが「お伊勢参り」に出かけた、② その帰り道に安来で足を痛めて歩行が困難となった、③ 青駄(簡易な籠)へ乗せて「国境嶋津屋御番所」(松江藩と銀山附幕料の境に設けられた番所)まで送り返すこととなった、という内容であることが分かりました。
つまりこの古文書は、松江藩の郡奉行が、安来町で怪我をして実家まで帰ることができなくなったきよさんを国境まで送り届けるように命じている文書ということになります。
この古文書から、江戸時代に「お伊勢参り」が流行していた実態や女性が一人旅をできるほど安全だった状況、案外と江戸時代の社会福祉も充実していた面など、当時の旅行や社会の様子を知ることができ、いろいろと想像を巡らしながら、少し江戸時代へタイムトラベルした気持ちになりました。 さて、この後、きよさんがどうなったのか、少し気になるところではございますが、残念ながらお時間となってしまいました。続きはまた「次回」(あるかないかは、みなさんのリクエスト次第です)、最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。