研究員の日記

センター長だより2 京羅木山城・勝山城に登ってきました

2024年3月22日の日記  池淵俊一 古代文化センター長

こんにちは。「たより」と銘打ちながら、第1回から既に半年以上が経過してしまいました…。

いささか旧聞に属しますが、昨年の12月に松江市と安来市の境にある京羅木山と勝山城に登ってきました。例によって仕事ではなくて健康増進のための山歩きです。

古代文化センターでは、現在「中世山陰の戦争と地域社会」と題して共同研究事業を行っています。その一環で中世山城の研究にも取り組んでいて、その様子は当ブログでも紹介しているところです(2023.4.18 広江研究員のブログ)。

私も山城に興味があって、かねてから京羅木山に行きたいと思っていましたが、先般ようやく念願を果たすことができました。

東出雲町上意東の、おちらと村からスタートです。

登山道は地元の方々によって整備されていて、各所に案内板も設置されています。

山道を20分ほど歩くと、出雲金比羅宮にたどり着きます。ここで地元の常連さんに声をかけられて一緒に山頂まで登ることに。

金比羅宮から頂上直下までは林道がついていて、30分ほど歩くと擬木の階段に到着し、ここを登り切ると頂上です。最後の階段はちょっときついですね…。

頂上には、やや広い平坦面があり、記念碑や説明板が設置されています。ここは永禄年間の毛利氏による尼子氏攻めの拠点となった場所で、付近の尾根上には駐屯地として使用された平坦面が広がっています。以前ブログでも紹介された赤色立体図でも人工的に加工した痕跡(白っぽいところ)がよくわかります。

京羅木山付近の赤色立体図(安来市教育委員会提供)

頂上からは中海や意宇平野、松江市街地が一望できます。もちろん富田城方面も望めます。

つづいて、懸案の勝山城に向かいます。ここは途中、道がわかりにくい箇所があるので注意が必要!

小1時間ほど山道を歩くと、勝山城に到着。この城は毛利元就による富田城攻めの最前線となった陣城です。頂上からは間近に富田城を望むことができ、この城が戦いの最前線であったことを改めて認識させられます。

勝山城跡からみた富田城跡(左は同行した常連の方の登山杖)

この勝山城には毛利氏の築造技術が随所にみられます。その代表が畝状空堀群(うねじょうたてぼりぐん)と言われる、敵が斜面を横に移動するのを防ぐために築かれた無数の竪堀で、斜面にぎっしり竪堀が掘られたさまは壮観の一言です。

畝状竪堀群の様子

現地は未整備のため残念ながら写真ではわかりにくいのですが、赤色立体図では竪堀群や方形の入り口である桝形虎口(ますかたこぐち)など、築城の様子を明瞭に読み取ることができます。

勝山城の赤色立体図(安来市教育委員会提供)

勝山城から一旦京羅木山に戻り、出発地に戻ってきました。10㎞程の行程なので、それなりに時間がかかりますが、京羅木山はハイキングコースとしてよく整備されていますので、比較的アプローチは楽です。山城マニアの方には勝山城は必見ですが、距離や道のわかりやすさから広瀬町石原方面からの登城の方をお勧めします。

京羅木山を振り返る