研究員の日記

毛利氏の居城、吉田郡山城

2024年7月12日の日記  廣江耕史 特任研究員

秋に古代出雲歴史博物館で開催される企画展「山陰の戦乱-月山富田城の時代」の際に資料をお借りするため広島県安芸高田市歴史民俗博物館へ調査に行きました。安芸高田市といえば、ユーチューブで市の公式チャンネル登録者数は全国最多となり前市長さんが有名になりました。戦国時代には中国地方をおさめ、尼子氏との戦ののちに山陰も支配下に置いた毛利氏の本居地で居城の吉田郡山城が市役所の近くにあり、博物館は城の麓にあります。

安芸髙田市歴史民俗博物館(後方が郡山城)
博物館ののぼり旗

昼に到着し、午後の約束の時間まで余裕があったので、同行者と二人で吉田郡山城にある毛利元就の墓所を見学することにして山に入りました。

郡山城案内看板
毛利元就墓所

駐車場からは割と直ぐに墓所に着けたので、欲張って本丸まで行こうということになり山道を登り始めました。結構な好天で歩き出してすぐに汗が吹き出してきて、さすがに山城を簡単に登れると思ったのが失敗だったと後悔しながらの登城でした。吉田郡山城は戦国時代末の1589年に広島城が築城され拠点は移りますが典型的な山城で、尾根上に300段以上の郭が自然地形を利用して平坦に削られた大規模なものです。何とか本丸までたどり着いたものの、博物館での予定時間まで30分を切り、急いで下山したので膝が笑うような感じになりましたがなんとか約束の時間までに博物館に戻れました。

郡山城登城路
本丸

尼子氏が戦った毛利氏の居城である吉田郡山城を制覇できたことに満足して、本来の目的である資料調査に取り掛かりました。吉田郡山城は、今まで本格的な発掘調査が行われていないために陶磁器等の遺物は採集品です、しかしさすがに西国の雄として豊臣、徳川と対峙してきたことから、他では見られない青磁の琮形瓶(そうがたびん)が採集されています。これは、13世紀から14世紀の伝世品で、座敷に飾られた威信財と考えられます。

資料調査の様子

絵図では、毛利元就画像の掛け軸があります。元就が金色の烏帽子に赤い狩衣、腰には大小の刀、手に軍扇、足は豹皮の毛沓という派手ないでたちです。元就は次男だったものの長男とその息子の死により家督を継ぎ郡山城に入城しています。

今回の企画展は戦をテーマにしていることから、「出雲の雄」尼子氏と毛利氏との戦いや、戦国期の動きを中国地方各地の文書、考古資料などを並べて展示する予定です。