研究員の日記

海からの目印―灯台と山と〇〇―

2024年8月1日の日記  吉永壮志 専門研究員

大海原に浮かぶ船はいったい何を目印に進んでいくのでしょうか?

今から約1220年前の平安時代はじめ、現在の中国東北地方・朝鮮半島北部にあった渤海(ぼっかい)という国に派遣された内蔵賀茂麻呂(くらのかもまろ)が日本に帰ってくる際に体験したエピソード(『日本後紀』延暦18年(799)5月13日条)がヒントになりそうです。内容を要約すると、次のようになります。

内蔵賀茂麻呂が帰国の際、夜の海は暗く、どこに向かえばよいか分からない状況であったが、遠くに火の光がみえたので、その光を目指して進んだところ、隠岐国智夫郡の浜に到着することができた。ある人がいうことには、「比奈麻治比売神(ひなまじひめのかみ)は霊験豊かで、商人が海で漂流すると、必ず火の光をあげるので、その火の光を頼りに進めば、無事に到着できたという例が数多くある」ということだ。

このエピソードから、日本海地域を往来する船にとって、隠岐が目印となっていたこと、そして、夜にあがる「火の光」が隠岐まで導いてくれたことがわかります。その夜の「火の光」といえば、現在では島や半島などに設けられた灯台が、船による航海の目印として機能していることを思い浮かべる方も多いでしょう。

島根県内にも灯台が多くありますが、そのなかでも島根半島の東にある美保関灯台(松江市美保関町美保関)と西にある出雲日御碕灯台(出雲市大社町日御碕)が特に有名です。美保関灯台は、明治31年(1898)に竣工した山陰地方でもっとも古い石造灯台で、現在もかわらず灯台としての役割を果たしています。一方、出雲日御碕灯台は、美保関灯台竣工5年後の明治36年に完成し、日本でもっとも高い石造灯台として知られ、現在も機能しています。いずれの灯台もその文化的重要性から、令和4年に国の重要文化財に指定されました。

美保関灯台
出雲日御碕灯台

さて、両灯台がある日御碕と美保関と聞いて想起されるのが、天平5年(733)に編纂された、古代出雲の地誌『出雲国風土記』の「国引き神話」です。「国引き神話」は、八束水臣津野命(やつかみずおみつののみこと)が余った土地を引っ張ってきて島根半島を形成したという神話で、そのなかに引っ張ってきた土地として「支豆支(きづき)の御埼(みさき)」、「三穂(みほ)の埼(さき)」とみえ、それぞれ日御碕と美保関を指すと考えられています。そして、その土地をつなぎとめる綱が「薗(その)の長浜(ながはま)」と「夜見島(よみのしま)」、杭が「佐比売山(さひめやま)」と「火神岳(ひのかみのたけ)」で、それぞれ出雲市大社町から多伎町にいたる砂浜、弓ヶ浜半島、三瓶山、大山だとされています。「国引き神話」は、最終的には中央の影響を受けつつも、もともとは出雲の地でつくられたものと考えられ、しかも余った土地は朝鮮半島の「志羅紀(しらき)の三埼(みさき)」、能登半島の「高志(こし)の都都(つつ)の三埼(みさき)」で、日本海を舞台とした神話です。そのため、出雲の海民目線でつくられた可能性があり、その理解に従えば、杭とされる三瓶山と大山は、海からの目印であったといえます。

『出雲国風土記』「国引き神話」概念図

つまり、船で航海する際、山、特に高い山は目印として機能していたといえます。そして、山とまではいいませんが、ほかにも海からの目印としての役割をもっていたのではないかといわれるものがあります。

 それが古墳です。島根県と同じく、日本海に面する京都府には神明山(しんめいやま)古墳や網野銚子山(あみのちょうしやま)古墳(ともに京丹後市)があり、これらの古墳は当時海からよくみえたといわれています。おそらく、これらの古墳は、船で海上を往来する者に対し、古墳被葬者ならびにその後継者の力を誇示するものであるとともに、海からの目印としても機能していたのではないでしょうか。  海を進む船にとって、灯台や山、そして時に古墳が目印としての役割を果たしてきたことを述べてきました。思いつくまま、徒然なるものですが、ただこれらは、近年の私自身の仕事と関わるものといえます。例えば、灯台については、美保関灯台と出雲日御碕灯台の重要文化財指定に関わることができましたし、三瓶山と大山が杭として描かれる「国引き神話」を収める『出雲国風土記』については、古代文化センター編の『出雲国風土記―地図・写本編―』、『出雲国風土記―校訂・注釈編―』の刊行に関わることができました。

島根県古代文化センター編
『出雲国風土記―地図・写本編』2022年
島根県古代文化センター編
『出雲国風土記―地図・写本編』2023年

そして、古墳について、令和6年は山代二子塚(やましろふたごづか)(松江市)や今市大念寺(いまいちだいねんじ)古墳(出雲市)など、島根県所在の大型古墳が国の史跡指定100周年を迎えます。それを記念し、東京都の日比谷コンベンションホールにおいて「しまねの古墳」をテーマに「しまねの古代文化連続講座」(7/27・8/25・9/28の計3回で、8月1日現在8/25・9/28の2回分の申込を受付中)を開催するとともに、東京羽田空港発、萩・石見空港着のしまねの古代文化探訪ツアー「島根県最大の前方後円墳「スクモ塚古墳」と古代出雲の史跡をじっくりめぐる」(10/8~10・12/11~13の2回)を行うことになり、その担当となりました。講座についてはhttps://kodaibunkasho.jp/r6-kodaibunka.htmlから、ツアーに関してはクラブツーリズムHPから申込ができます(ちなみに昨年度好評だったツアー「『万葉集』の歌聖柿本人麻呂ゆかりの地へ」も10/22~24に開催します)ので、興味がありましたら、是非ご参加ください。

しまねの古代文化探訪ツアー
「島根県最大の前方後円墳「スクモ塚古墳」と古代出雲の史跡をじっくりめぐる」
しまねの古代文化探訪ツアー
「『万葉集』の歌聖柿本人麻呂ゆかりの地へ」