研究員の日記

「ウノヂヒコ」と「ウノイクヒコ」~『出雲国風土記』解説書の刊行によせて~

2025年5月30日の日記  橋本剛  主任研究員

 1992年に産声をあげた古代文化センターは、設立30周年を記念して、『出雲国風土記』の注釈書を2023年に刊行しました(『出雲国風土記―校訂・注釈編―』八木書店、以下「校訂本」)。

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島根県古代文化センター編『出雲国風土記―校訂・注釈編―』(八木書店、2023年)

 この校訂本は30年間の研究成果を目一杯に盛り込んだ書籍で、大変分厚く重たい本になってしまいました。主に研究者を対象とした本ということもあり内容は充実しているものの、持ち運びには大変不便。風土記の登場地を巡る際のお供として、一般の方にも親しんでもらえるコンパクトサイズの解説書を作らねば…

 こうした考えのもと、既刊の校訂本のエッセンスを詰め込んだ、持ち運びにも便利な一冊を作成しました(『出雲国風土記』島根県教育委員会、ハーベスト出版より販売、以下「本書」)。

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島根県古代文化センター編『出雲国風土記』(島根県教育委員会、2025年)

 今回は、本書の編集会議で議論になった部分を一例ご紹介しましょう。

 楯縫≪たてぬい≫郡の沼田≪ぬた≫郷には、「宇乃治比古(ウノヂヒコ)」という神様が登場します。一方、大原郡の海潮≪うしお≫郷にも、よく似た名前の神様が登場するのです。

 後者の海潮郷の神様は、細川家本という写本に「宇能活比古(ウノイクヒコ)」と記されています。

大原郡海潮郷の「宇能活比古」
(画像は古代文化センター本ですが、細川家本もほぼ同じの字体)

 これだけをみれば、両者は「よく似た名前の別々の神様」という評価になります。しかし問題は、「活」と「治」は字形がよく似ている、ということです。つまり、本来こちらも「宇能治比古(ウノヂヒコ)」だったものが、文字を写し間違えたために「宇能活比古(ウノイクヒコ)」となってしまった、とも考えられるわけです。

 さらに事態を難しくしているのは、このウノヂヒコやウノイクヒコという神様が、『出雲国風土記』以外には確認できないことです。もしウノヂヒコという神様が他の史料にたくさん確認でき、反対にウノイクヒコが確認できないとすれば、大原郡海潮郷の神様も「宇能治比古(ウノヂヒコ)」が正しいだろうと理解できます。ただ残念なことに、ほかに事例がないとなると、どちらが正しいのか容易に判断がつきません。また固有名詞ということもあり、意味や文脈から推測するという手法もなかなか通用しないのです。

 2年前に刊行した校訂本では、海潮郷の神様について細川家本のとおり「宇能活比古(ウノイクヒコ)」としました。これは、細川家本を重視するという校訂本の編集方針があったからです。もちろん、解説部分で「宇能治比古(ウノヂヒコ)」の可能性があることをきちんと説明しています。

 それに対して、一般の方向けの本書ではどうするか。編集会議の場では様々な意見がでましたが、我々は「宇能治比古(ウノヂヒコ)」へ改めるという決断を下しました。同じ『出雲国風土記』(楯縫郡沼田郷)に「宇乃治比古」が登場すること、「治」と「活」の字形が近いこと、一文字一音表記の可能性が考えられること、などが大きな理由です。ただし、本書の本文編を見れば、校訂本からどのように文字を改めたかがわかるようになっています。そのため、「この部分は“宇能活比古(ウノイクヒコ)”かもしれない」と気づいてもらえると思います。

 このように、史料の本文を確定するのは大変難しく、一筋縄ではいきません。本書のような解説書を作成する場合、写本を比較しつつ文脈なども考慮し正しい文字を判断する「校訂」という作業を行うことになります。もちろん吟味した結果、訂正を施さずに写本の文字をそのまま「肯定」することもあるわけです。写本の文字をいかに「コウテイ」するか。本書の作成を通じて、その難しさについて改めて考えさせられました。

 以上のように議論を重ねて完成した本書は、ハーベスト出版から販売され、島根県内の書店やネットでも購入できます。本書をきっかけに、『出雲国風土記』の魅力が多くの方に伝わることを願っています。