第41話 浜田の鮎を贈る
目次謙一 専門研究員
(2022年7月26日投稿)
中国山地を流れくだる各地の川は、鮎《あゆ》が名産として広く知られています。今年も釣りや料理などで、多くの方々が鮎を堪能されていることでしょう。
安土桃山時代、三宮《さんくう》神社(大祭天石門彦《おおまつりあめのいわとひこ》神社・浜田市相生町)の宮司を務めていた岡本美作守《みまさかのかみ》は、浜田を支配していた領主の仁保元棟《にほもとむね》に対して、鮎・鮭《さけ》といった魚を含むさまざまな物を贈りました。これは、お互いの良好な関係を保ちたいと考えたからと思われます。贈り物を受け取った仁保元棟がその都度、岡本美作守へ出したお礼の手紙が「石見岡本家文書」の一部として伝えられました。
手紙の一つは、1583年から87年ごろのものです。6月21日の日付があり「格別に見事な鮎を送っていただきました」と仁保元棟が感謝の気持ちを表しています。おそらく鮎を受け取って、そう日が過ぎないうちにお礼の手紙が書かれたのでしょうから、鮎が捕れたのは旧暦6月21日に近いころとみられます。現在のカレンダー(新暦)で調べ直すと、おおよそ7月のうちと推定され、鮎の旬の時期に重なることが分かります。
もう一つ、別の手紙もおよそ同じころ、仁保元棟から送られたもので、こちらは9月18日付けです。手紙には「はらこもりの鮎」20尾を受け取ったとあり「十分に味わい楽しみました」とお礼が述べられています。
日付は新暦で10月となり、秋になって鮎が川を下り産卵するころで、手紙の「はらこもりの鮎」とは、産卵時期を迎えた鮎を指す言葉と推測されます。鮎の内臓から作る「うるか」や卵巣から作る「子うるか」を思い浮かべた方も多いのではないでしょうか。
このようにお礼の手紙の日付を手がかりに推測すると、岡本美作守は旬の美味として鮎を選び、贈り物にしたと言えそうです。 一方、仁保元棟は吉川元春《きっかわもとはる》の次男で、1567年に山口近隣の領主・仁保氏を相続し、1583年以降、浜田へ移り、領主となった人物です。別の土地からやって来た人が地元の旬の幸を喜んでいるさまは、現代に通じるものがあるように思われます。安土桃山時代の浜田でも旬の魚が贈り物として届けられ、相手に大変、喜ばれていたことが分かります。