いまどき島根の歴史

第43話 出雲型石棺式石室 

岩本真実 特任研究員

(2022年8月9日投稿)

 松江市にある山代原古墳(永久宅後古墳)の発掘は、ここ数年の調査の中でも特に感動しました。この古墳の石室は、出雲東部に集中して分布する出雲型石棺式石室と呼ばれる横穴式石室です。出雲型石棺式石室は、切石《きりいし》をなるべく1枚ずつ用いて四方の壁と天井、床を組み上げ、入り口も石を組むのではなく前面の石をくりぬいてつくられます。天井は家形に加工されたものが多く見られます。山代原古墳は中でも非常に大きく精美な石室として知られ、初めて目にした時には勇壮な外観にとても感動したのを覚えています。

 石室を目の前に再び感動したのは、前室《ぜんしつ》の床石が初めてその厚みを現したためです。なんと厚さ75㌢。巨大な石製構造物を支える床としては当然なのですが、出雲型石棺式石室の床石の厚さが判明した例はほとんどありません。自分の想像力不足への反省も含め大きく心揺さぶられました。

石棺式石室の模式図(松江市教育委員会・財団法人松江市教育文化振興事業団『向山古墳群発掘調査報告書』から一部改変)

 山代原古墳は出雲型石棺式石室の中でも新しい段階のものです。数年前には出雲型石棺式石室の祖型とされる松江市の古天神古墳の調査に参加しました。山代原古墳とは違い小規模な玄室の手前に狭い羨道《せんどう》があります。この調査でも新たな発見がありました。古天神古墳のものと推測されていた島根大学所蔵の鉄刀片が、東京国立博物館に所蔵されていた古天神古墳出土鉄刀と接合することが判明し、由来が明確になったこともその一つです。

 また石室の写真撮影のために管理者の許可を得て床を掃除すると、石室奥で大刀のような細長い鉄製品が置かれていたと思われる痕跡が現われました。1915(大正4)年の古墳発見時の記録に玄室の奥と手前で刀剣が出土したことは記されていたのですが、再調査により過去の記録の信憑《しんぴょう》性が高いこと、さらに具体的な位置まで判明したのです。このように以前から知られている古墳でも新たな調査により明らかになることはまだまだあり、丁寧な調査がとても大事です。

 残念ながら、どちらの古墳も倒壊の危険性や劣化防止などの理由から現在は見学できません。いずれの調査でも最新の写真測量技術も使われていて、将来は内部に入る必要のないデジタル技術による観覧も期待できます。

 とはいえ、実際に訪れる事でしか味わえない格別な感動もあります。例えば、安来市の飯梨岩舟《いいなしいわふね》古墳も大型の出雲型石棺式石室です。丘陵斜面を登り、ふと視界が開けると、木々と苔《こけ》の織りなす美しい緑の世界にたたずむ大型石室が目に入ります。宮崎駿のアニメ映画のような古代文明との遭遇と言うと大袈裟《おおげさ》かもしれませんが、現代から千年以上さかのぼる古墳時代の文化に出会う貴重な体験ができます。私の一押し古墳です。

飯梨岩舟古墳(安来市岩舟町)