いまどき島根の歴史

第45話 出雲の御師と天然痘対策

松尾充晶 専門研究員

(2022年8月23日投稿)

 人類は歴史上、1980年に世界保健機関(WHO)が根絶を宣言するまで、天然痘《てんねんとう》という恐るべき伝染病と闘い続けてきました。日本では「疱瘡《ほうそう》」と呼ばれ、江戸時代には数年ごとに大流行が発生し、大都市では常に感染が広がっていたといいます。

 疱瘡の症状は、初期に高熱・悪寒《おかん》・体の痛みが出る点が新型コロナウイルス感染症と似ています。恐ろしいのはこの後で、顔を中心として全身に発疹《ほっしん》が現れます。水ぶくれで容貌が変わるほど顔が腫《は》れ上がり、体中のかさぶたが剥がれ落ちてようやく治るまで2週間以上を要しました。

 致死率が非常に高く、命を取り留めても失明したり、顔にひどい痕が残ったりすることから、人々は疱瘡にかかることを恐れ、かかったとしてもその症状が軽く治まるよう強く願いました。感染症に対する疫学的知識のなかった時代のことですから、疱瘡に対抗するには効果の疑わしい高価な薬を求めるか、神仏の加護やまじないに頼るほか術《すべ》がなかったのです。

 そのような状況で、全国から疱瘡守護の神として信仰されたのが、出雲の鷺《さぎ》大明神(現在の伊奈西波岐《いなせはぎ》神社:出雲市大社町鷺浦)でした。同神社から下される笠と境内の石は、疱瘡封じの特効アイテムと信じられており、これを全国に広めたのが出雲の「御師《おし》」と呼ばれる人々だったのです。

 御師は出雲大社の神職で、大国主神の神徳を全国に説いて大社信仰を広め、信者が大社を参詣する際にはその宿所・案内役を務めていました。出雲大社の御札を配って崇敬を募ることが主な役目でしたが、それと同時に鷺大明神の御札も配っていたようで、御師が使用した御札の版木が現存しています(写真1)。疱瘡の恐怖におびえる全国の人々は、出雲の神々に加護を求めようとしたのでしょう。

(写真1)鷺大明神の御札を刷るための版木(左)と、その印影(右)
 出雲の御師が実際に使用していたもの(島根県立古代出雲歴史博物館蔵)。病の毒気には赤色が効くと考えられており、疱瘡封じの御札は赤い顔料で刷られていた。

 江戸時代、疱瘡にかかる原因は、母親の胎内にいる間に「胎毒《たいどく》」という毒気が母から子へ遺伝するためだ、と考えられていました。疱瘡は症状から回復すると終生免疫が得られるため、人生で一度の病です。その理由を「一度疱瘡にかかれば胎毒が全て抜けてしまうため」と理解されていたのです。そこで体内に潜在し、さまざまな病の原因となる胎毒を除去するための「胎毒下し」という手法も考案されていました。出雲の御師の中には、これを効能とする薬を専売するものもあったのです(写真2)。

(写真2)「たいどくくだし」薬の効能書(部分)
 現存する版木(出雲市所蔵)の印影。胎毒はさまざまな病の原因と考えられた。

 全国を巡って出雲の神々の大いなる力を説き回った御師にとって、伝染病への社会不安に対応することも重要な役割の一つでした。