いまどき島根の歴史

第47話 漁具からみえる古墳時代の交流

吉松優希 主任研究員

(2022年9月6日投稿)

 夏の暑さもそろそろ落ち着いてほしい今日この頃、夏と言えば海。海と言えば、海水浴、サーフィン、釣りと楽しみ方もさまざまです。私も先日、釣りに出かけてヒラマサを釣り上げたところです。魚を捕る道具は、釣りざお、網、銛《もり》などですが、古墳時代の漁具には釣り針や銛などの刺突具《しとつぐ》のほか、たこつぼなどがあります。実は、安来市の臼《うす》コクリ横穴墓群からは銛のような鉄製の三又《みつまた》刺突具(三枝鉾《さんしほこ》)が出土しています。

臼コクリS-3号横穴墓出土の三枝鉾(島根県埋蔵文化財調査センター蔵)

 臼コクリ横穴墓群は安来道路の建設に伴って、1991年と96年に発掘調査が行われました。18基の横穴墓が調査され、石棺を納める横穴墓や装飾付大刀《たち》(単龍環頭《たんりゅうかんとう》大刀)が発見されています。

 このうち、三枝鉾はS-3号横穴墓で発見されました。横穴墓の内部には小型の家形石棺2基が納められており、出土した須恵器から6世紀末から7世紀初頭ごろに造られたものと考えられます。副葬品は少なく、横穴墓でよく見られる武器などはありません。

 さて、この三枝鉾ですが、日本列島内に類例はほとんどないのです。類例が多く見つかっているのは、朝鮮半島東南部を中心とした新羅《しらぎ》地域です。一見、武器に見える三枝鉾は韓国では漁具と捉《とら》えられ、中でも新羅王から地方首長に下賜《かし》された威信材と考えられています。

 なぜ、新羅の文物が安来にもたらされたのでしょうか。実は臼コクリ横穴墓群の近く、鷺《さぎ》の湯病院跡横穴墓でも同様に新羅系文物(太環式耳飾《ふとかんしきみみかざり》や交叉耳環《こうさじかん》など)が出土しています。

鷺の湯病院跡横穴墓出土遺物(復元) 左下の耳飾りが新羅系文物(島根県立古代出雲歴史博物館蔵)

 この横穴墓は6世紀後葉に造られ、装飾付大刀4振《ふり》や馬具などの豊富な副葬品が納められていることが知られています。これらの新羅系文物がどのようにしてもたらされたのかは今後考えていかなければなりませんが、安来の横穴墓被葬者の一部には新羅との関係を持つ人物がいたことが分かります。

 臼コクリS-3号横穴墓の被葬者はどのような人物だったのか。朝鮮半島と関わりのある器物を持つことから、安来の地域首長のもとで外交に携わった、あるいは漁具と目される鉄器を持つことから、生業の面で活躍した人物が想像できそうです。海にかかわる器物で安来と新羅はつながっていたのかもしれませんね。