第53話 特産の鋳物づくり
目次謙一 専門研究員
(2022年10月18日投稿)
島根県には、47都道府県中、第3位の生産量を誇る産業がありますが、皆さんはご存じでしょうか。答えは銑鉄鋳物《せんてついもの》産業です。正確には生産重量・生産金額で全国第3位(2021年時点)で、その部材は自動車や船舶・各種機械などの幅広い分野に供給されています。現在の銑鉄鋳物産業は島根県のものづくりをリードする産業ですが、県内の鋳物づくりには長い歴史があります。
かつて、私たちの身の回りにあったさまざまな品々の多くが鋳造による製品でした。鋳物は高温で溶かした鉄を鋳型に注いで造られました。クド(カマド)にかけてご飯を炊いた釜のほか、鍋や茶の湯で使われる釜、銅製の釣り鐘・仏具・花器・鏡・貨幣なども鋳物として挙げられます。
鋳物を造っていたのは、各地に工房をかまえていた、鋳物師《いもじ》と呼ばれる人々でした。島根県内で主に知られているのは、宇波《うなみ》鋳物師(安来市広瀬町宇波)や、市山《いちやま》(江津市桜江町市山)・川本(邑智郡川本町)・高角《たかつの》(益田市高津町)に分かれていた鋳物師山根家です。
また、江戸時代半ばに松江藩が設置した釜甑方《ふそうかた》でも、鋳物が生産されていました。明治時代初めに釜甑方が廃止された後は、その流れをくむ島谷家と遠所家が戦後も操業していました。現在、この両家に加えて宇波鋳物師・鋳物師山根家も全て廃業しているため、モノや記録の多くが失われてしまいました。歴史的な鋳物生産を詳しく知ることは、島根県の鉄づくりを広く解明していくうえで課題の一つといえるでしょう。
残された鋳物師関連資料のうち、市山の鋳物師山根家に伝えられた居宅一帯の絵図を調べると、その工房の位置を推定できました。発掘調査したところ、鉄や銅の鋳造作業に伴う道具・廃棄物や、年代を示す陶磁器が発見されました。それらから、同家では鍋・釜・農具など日常的な鋳物を主な製品にしていたことに加えて、江戸時代半ば(18世紀前半・約300年前)には既に鋳物を造っていたことが明らかになっています。
たたら製鉄が盛んだった島根県。特産の鉄を使い鋳物師たちが造った鋳物は、人々の日常生活を支えるものでした。古代文化センターでは本年度から「鋳物と鋳物師の研究」を始めています。鋳物づくりからみた島根の歴史の解明にご期待ください。