第57話 出雲国風土記三津郷の伝承を読みなおす
平石 充 主席研究員
(2022年11月15日投稿)
今年3月に島根県古代文化センターから刊行した『出雲国風土記 地図・写本編』では、従来と異なる出雲国風土記の本文を提示しています。その一例として仁多郡三津郷《みつのさと》の説話を紹介したところ、周りから「本当ですか?」との意見をいただきましたので、少し詳しく説明します。
風土記には、三津の地名について、①成人しても泣いてばかりで言葉が話せなかった阿遅須伎高日子命《あぢすきたかひこのみこと》が、初めて「三津」と話した②三津はどこかと案内させると、そこから水が湧き出し沐浴した③だから出雲国造《くにのみやつこ》は神賀詞《かんよごと》を奏上するときここの水を用いる、と書かれています。
問題はその次です。従来は、④三津の稲(三津の水で育つ稲)を妊婦が食べると生まれる子は言葉を話せなくなる、とされてきました。
今回は、荻原千鶴氏・内田律雄氏などの意見を参考に、④三津の稲を妊婦が食べると生まれたばかりの子が言葉を発してしまう、としました。
この部分の写本を見ると、写本Aでは「所生千已云」(「千」は「子」の誤写。生まれる子、すでに云《い》う=言葉を話す)、写本Bでは「所生子已不云」(生まれる子、すでに云わず=言葉を話さない)です。
従来、写本Bの方が風土記の原本に近いとされ、言葉を話さないと解釈されてきましたが、現在は写本Aの方が原本に近いと考えられています。
また、写本Aの「千」を「不」の誤写とする案もありますが、漢文の語順では「已不云」となるはずで、「不已云」はおかしな語順です。したがって写本から「所生子已云」だと考えられます。
ここで「所生子已云」(=言葉を話す)で、説話全体を考えてみます。まず①②は、三津の水に言葉を話せるようにする不思議な力があることを暗示する説話です。次に③では、だから国造が水を用いる、と書かれています。神賀詞奏上とは天皇の前で国造が祝詞《のりと》を読み上げる儀式ですから、この水で言葉が話せなくなっては困ります。
③は三津の水を用いると、国造は普段以上にすらすらと話せるようになるという意味なのです。最後の④では稲を食べていけないのは妊婦だけで、子どもは問題とされていません。理屈っぽく考えると、妊婦から生まれた瞬間に、避けるべき事態が発生すると考えられます。
生まれた瞬間、子どもが泣いて言葉を話さないのは普通のことですから、そうではないこと、すなわち、生まれたばかりの子が泣かずに言葉を話すという、普通ではない現象が起きることを避ける話だと無理なく解釈できます。この部分は「所生子已云」、「生まれる子、すでに云う」と読むべきなのです。