第59話 出雲で降った神宮のお札
松尾 充晶 専門研究員
(2022年11月29日投稿)
全国旅行支援の効果もあって、旧暦「神在月」の出雲は久しぶりに大勢の旅行客でにぎわいました。旅の目的は神社巡り、という人も多かったようですね。
江戸時代の庶民は藩外への移動が制限されており、現代のように自由に観光旅行をすることができませんでしたが、社寺参詣を目的にした旅は許される風潮がありました。その行き先の筆頭が伊勢神宮であり、多くの庶民が「一生に一度は伊勢参りに行きたい」と願ったのです。約60年ごとに「おかげ参り」と呼ばれる突発的ブームが発生し、全国から数百万人もの熱狂的な大群衆が伊勢に押し寄せました。
おかげ参りが起こるきっかけになったのが、天から伊勢神宮のお札が降ってくる「お札降り」という不思議な現象です【写真1】。このような超常現象が現実に起こるとは考えにくく、実際には「朝起きて外に出てみると、屋根の軒先にお札がひっかかっていた」というのが実態だったようで、豪農など経済的に豊かな家に降ることが多かったと言われています。
「あの家にお札が降ったらしい」とうわさが広まると人々はお札を拝みに押しかけ、降った家はこれを盛大に供応しました。このようなお札降りが各地で頻発し、それがきっかけとなって、人々がこぞって伊勢へと出かけるおかげ参りへとつながったようです。
1771(明和8)年には、出雲地域でも神宮のお札が降りました。森広家(出雲市大津町)の記録によれば、「松江にて数箇所、(現出雲市の)今市大津善正寺脇、久村などでも数箇所、杵築ではさらに数多くのお札が降った」とされています。この年は全国的なおかげ参りの年となり、島根県域からも多くの人びとが伊勢を目指して旅に出ました。
こうした参拝客を伊勢で出迎え、もてなしたのが「御師(おし・おんし)」と呼ばれる人たちです。御師は全国各地で神宮のお札や伊勢暦、伊勢の土産物などを配って布教を行い、神宮参拝を勧めます。御師は自身の屋敷で宿屋を経営しており、民衆が伊勢に滞在する際は、自分たちの居所を担当している御師のお世話になるのが通常でした。最盛期には800軒以上もの御師家があって盛況を呈し、明治4年に政府の政策によって廃止されるまで、全国からの伊勢参りを支える重要な役割を果たしました。
江戸時代の社寺参拝は純粋な信仰行為であるとともに、次第に観光の側面が加わって、庶民の特別な娯楽として楽しまれていました。現代の神社巡りツアーは、これにつながる、と言えるでしょう。