いまどき島根の歴史

第62話 出雲国府跡の小札

吉松優希 主任研究員

(2022年12月20日投稿)

 家を建てる際、土地の神様に安全を祈願する地鎮祭では鎮め物を地面に埋めることがあります。松江市大草町にある奈良時代の官衙《かんが》遺跡である史跡出雲国府跡でも、鎮め物と考えられるあるものが出土しています。

 史跡出雲国府跡では、政庁域の発掘調査を進める中で、小札《こざね》と呼ばれる甲冑《かっちゅう》を構成する小さな板状の部品が見つかりました。小札は肉眼ではわからず、エックス線写真の撮影で確認されました。発見後、政庁域以外の地区で出土した板状の鉄製品を撮影しましたが、小札を見いだすことはできませんでした。このことから、小札は政庁域からの出土のみが知られている状況です。

 出雲国府跡からは幅の違う2種類の小札が出土しています。小札の幅は時期差を表しており、やや幅の広い7世紀後葉~8世紀前葉ごろのものと、幅の狭い8世紀中葉ごろのものがあります。これらの小札をエックス線CTで撮影すると、3枚程度が重なった状態で有機質の紐《ひも》で結束された状態のものや、1枚の小札を布で巻いたものもあります。

出雲国府跡出土小札(島根県埋蔵文化財調査センター蔵)
出雲国府跡出土小札エックス線CT画像(島根県埋蔵文化財調査センター蔵・九州歴史資料館撮影)

 出雲国府跡の小札は、甲冑1領分の量はありません。出土した位置の多くは建物などを建てるための整地層の中で、それぞればらばらの状態で見つかりました。このことから小札は甲冑としてではなく、地鎮などの祭祀《さいし》のために使用されたと考えられます。時期差のある複数の小札を用いた祭祀はこの時代の都城である長岡宮や平城宮、大規模な地方官衙である大宰府、秋田城などでみられます。

小札甲復元想定図(公益財団法人元興寺文化財研究所2015『国宝東大寺金堂鎮壇具保存修理調査報告書』東大寺に一部加筆)

 これらの小札祭祀は、重要拠点地域のみで確認できる重要な祭りであった可能性が指摘されています。出雲国府政庁域では、長岡宮や平城宮などと同様の祭祀が行われていたと考えられるのです。このほかにも東脇殿と呼ばれる建物の周囲では、土師器《はじき》の甕《かめ》を埋めた祭祀なども行われています。

 出雲国府政庁域での地鎮にかかわる祭祀は、多岐にわたることが分かります。政庁域の整備にあたって奈良時代の人々が土地の神様に安全を祈願して、さまざまな祭祀をしたというのは、なんとも親近感がわくところではないでしょうか。