いまどき島根の歴史

第72話 勧請された伊勢の神

松尾充晶 専門研究員

(2023年3月28日投稿)

 3月は卒業や転勤の季節ですね。送別の酒を酌み交わそうと、夜の街へ繰り出した方も多かったことでしょう。

 この時期、松江市内で最もにぎわう繁華街が伊勢宮《いせみや》町ですが(写真1)、そのような地名が付いたのはなぜでしょうか?それは、かつてこの場所に「伊勢宮」と呼ばれる神社が鎮座していたことに由来しています。伊勢宮は寛永21(1644)年に松江藩主・松平直政が造らせ、明治7(1874)年の大火までの間、賣布《めふ》神社の東側にありました(写真2)。

(写真1)松江市伊勢宮町の飲食店街
(写真2)天保年間の「松江城下絵図」部分(所蔵・画像提供 松江歴史館)

 社名から察せられるように、伊勢宮には伊勢神宮の神々が祭られていました。その土地にもともとからあったのではなく、伊勢から祭祀《さいし》対象を移して祭ったということになります。

 このように、他地域の有力な神社で祭られている神を移植するような方式を「勧請《かんじょう》」と言います。日本全土に広く勧請された神の代表格が八幡神で、他にも天神や稲荷、春日や諏訪など、さまざまな勧請型の神社があります。松江城下町の伊勢宮もその一つ、といえるでしょう。

 全国的に見ると、八幡神に次いで数の多い勧請神は伊勢の神です。名称は「伊勢宮」以外に、「神明《しんめい》社」「皇大神社」「○○大神宮」などがありますが、いずれも伊勢神宮の祭神を勧請した経緯をもつ神社で、神社本庁の調査によれば、なんと4425もの神社がこれに該当するそうです。全国的に「伊勢宮」が多いという事実、島根県民にとっては少し意外に感じませんか?あまりなじみが無い理由は、その分布が極端に東日本に偏っている、という点にあります。

 鎌倉時代以降、東国武士団などの在地領主層は、盛んに伊勢神宮へ荘園を寄進しました。その結果、伊勢神宮の神領地である「御厨《みくりや》」「御薗《みその》」は東海・甲信越・関東に多数分布しています。神領地には伊勢神宮の祭神が勧請されたため、結果的に東日本には伊勢系の神社が多数分布することになったのです。

 少ないとはいえ、島根県内にも伊勢神宮の神を主祭神とする神社は存在しています。例えば、伊㔟神社(安来市今津町)の江戸時代の社名は大神宮、同様に高濱《たかはま》神社(出雲市里方町)は天照大神宮、大島《おおじま》神社(出雲市大島町)・日原《ひはら》神社(雲南市大東町)は伊勢宮と呼ばれており、いずれも伊勢から勧請された神を今日でもお祭りしている神社です。このような現在に伝わる「伊勢宮」の事例(写真3)は、島根県域における伊勢信仰の広がりを示すものと言えるでしょう。

(写真3)出雲市斐川町荘原の伊勢宮