いまどき島根の歴史

第81話 出雲国府の元日朝拝

橋本 剛 主任研究員

(2023年6月13日投稿)

 古代出雲の中心地である出雲国府(松江市大草町)。その中でも核となる施設である政庁《せいちょう》は特別な空間として認識され、地方統治に関わる多種多様な行事・儀礼が執り行われました。図の仏教斎会《ぶっきょうさいえ》もその一つで、護国経典である金光明教《こんこうみょうきょう》を転読するために僧を集め、国司や郡司らも参加して盛大に挙行されたと考えられます。

出雲国府仏教斎会図(早川和子さん作画 写真提供 島根県立古代出雲歴史博物館)

 このような政庁で行われる儀礼の中にあって、律令にその実施が定められているものとして、元日朝拝《ちょうはい》がありました。毎年元日に行われるこの朝拝はいくつかの要素で構成されますが、とりわけ重大な意味を持ったのが、国司の長官に対する、次官以下の国司や郡司らによる拝礼です。ちなみに律令の注釈書によれば、郡司のみが国司長官に拝礼する場合もあったようです。このことからすれば、この拝礼の本質は、国司に対する郡司による拝礼、すなわち国司と郡司との身分秩序の確認であったと捉えることができるでしょう。

 日本の律令は中国・唐の制度を参考につくられたものですが、この元日朝拝に関する規定は唐には存在せず、日本独自のものだと考えられています。いったいなぜ、このような儀礼が必要とされたのでしょうか。

 その背景には、国司と郡司の官職としての性格の違いがありました。国司は中央出身者が任じられ、かつ4年ないし6年の任期が定められていたのに対し、郡司はその地域の出身者が任じられ、任期はありません。そうすると、国司よりも高齢で業務に精通し、また国司と同等かそれ以上の位階を持つ郡司が存在する場合が想定されるのです。

 しかし、郡司はあくまで国司より下位に位置づけられており、国司も郡司をしっかりと統率していかねばなりません。そのため、国司と郡司の上下関係と、それに基づく礼的秩序を確認させるための儀礼が必要とされたのです。元日朝拝は、国司と郡司をめぐる、ある種の緊張関係の上に成り立っているといえるでしょう。

 話を出雲国へ戻します。出雲国府政庁は9世紀に大きな変化が訪れます。それまで正殿の前に存在した前殿が廃絶し、地面も石敷きへと変化するのです。前殿の廃絶による空間の拡張と石敷きへの移行は、政庁が儀礼を行う場として整備されていったことを示すとみることもできます。このような空間で、毎年元日朝拝が行われていたのでしょう。

 ところで現在、島根県立古代出雲歴史博物館(出雲市大社町杵築東)では、「古代を描く―考古イラストレーター早川和子の世界―」が18日まで開催中です。早川さんは、これまで数々の復元画を描いてこられ、先の仏教斎会のイラストも早川さんの作品の一つです。 この展覧会の目玉の一つとして、仏教斎会とは別に出雲国府における元日朝拝の復元画を新たに描いていただきました。設定した時期は9世紀、まさに政庁が変化を迎えた頃です。当時の様子がありありと浮かんでくるそのイラストをご覧になりながら、参列する国司や郡司たちの間に流れる空気まで感じとっていただければ幸いです。