第82話 出雲国風土記受容のある姿
野々村 安浩 特任研究員
(2023年6月20日投稿)
島根県古代文化センターでは県内外に所在する出雲国風土記(以下、風土記)の写本の調査をセンター設立当初から続けて、その調査の概要とともにいくつかの写真画像を公開しています。今回は先般調査時に発見した資料に関連することを少し述べてみます。
雲南市南部のとある神社での写本調査の際に、9枚のとじられた薄い冊子が見つかりました。表紙には「出雲風土記俗解鈔《ぞくかいしょう》仁多郡」(以下、「仁多郡」写本)とあり、紙縒《こよ》りとじでした。これは「出雲風土記俗解鈔」(以下「俗解鈔」)の仁多郡部分を写したものです。
「俗解鈔」とは、松江藩士・岸崎時照《きしざきときてる》が、1683年に自身が著した風土記の最初の注釈書である「出雲風土記鈔」(以下、「風土記鈔」)をさらに書き直したものです。
この「仁多郡」写本を通覧すると、いくつかの特徴があります。普通、写本を作る時には、元になる本を忠実に書写しているものですが、この写本では写真1のように、一部を「・・・」と省略したり、頭注をつけたりしています。頭注の梅本《うめほん》とは、梅廼舎《うめのや》・出雲俊信《いずもとしざね》著の解説書『訂正出雲風土記』(1806年、以下『訂正』)のことです。ここでは、『訂正』には「野」の文字の下に「山」の字を加えていると、「俗解鈔」の本文との違いを記しています。
この本の本文の神社記載では、三澤社は「三沢郷原田村の大森大明神で阿遅須伎高日子根命《あじすきたかひこねのみこと》を祭る」と説明していますが、写真2の頭注では「此註大ニアヤマレリ」とした後、阿遅須伎高日子根命を祭るのは高守大明神で、大森大明神は「素尊」(スサノオをさす)を祭り、原田村にはないと記しています。つまり本文と異なる見解を述べているのです。
これらの書きぶりからみると、この「仁多郡」写本は、多くの写本がもとにした本を忠実に写しているようなものとは違い、書写した人が自分の勉強用に、あるいはメモとして、本文の一部分の省略やほかの本の情報を記したものと考えられます。また、神社比定に異なる説が記されているのは、この「仁多郡」写本は神社関係者が書写したためかとも想像されます。
風土記やその注釈書を写した資料は県内外の多くの地域で伝わっていますが、「仁多郡」写本は自分用として一部分の省略や、その地域ならではの書き込みが見られます。この資料から、風土記がどのような形で地域の人々に受け入れられていったのか、それをうかがうことができます。