いまどき島根の歴史

第83話 名分丸山1号墳と日本海

吉松優希 主任研究員

(2023年6月27日投稿)

 佐賀県の吉野ケ里遺跡で石棺墓が発見され、邪馬台国《やまたいこく》の時代の墓かと、世間をにぎわせました。さて、邪馬台国といえば、女王・卑弥呼《ひみこ》。奈良県の箸墓《はしはか》古墳は卑弥呼の墓とも呼ばれています。この箸墓古墳は全長約276㍍という大きさなどが目を引きますが、古墳の形を見ると前方部が三味線のバチのように大きく開く形態もその特徴の一つです。

 島根県内では松江市鹿島町の名分《みょうぶん》丸山1号墳(前方後方墳)と雲南市の松本3号墳(前方後方墳)が、測量調査の成果から箸墓古墳と同様に前方部が大きくバチ形に開くことから、出雲最古の古墳である可能性が指摘されていました。

 全長約40㍍の名分丸山1号墳は佐陀川の北岸丘陵上に位置しており、丘陵上からは日本海を望むことができます。島根県古代文化センターなどが行った発掘調査から、バチ形に開く前方部を持つことや墳丘の構造の把握、墳頂部で埋葬施設にかかわる木棺の陥没痕跡の発見、近畿地方に特徴的な土師器《はじき》などを含む土器が出土する、などの成果がありました。

名分丸山1号墳で発見された木棺陥没痕跡(白線が陥没痕跡、点線は推定)

 これらの成果を基にすると、名分丸山1号墳は従来考えられていた最古期の古墳ではなく、おおよそ古墳時代前期中葉ごろに築造された前方後方墳と考えられます。

 実は名分丸山1号墳が位置する松江市鹿島町は、島根県内でも有数の前期古墳密集地帯なのです。多くの古墳は講武平野を取り囲む丘陵上に位置しています。主な前期古墳として銅鏡が副葬された奥才《おくさい》14号墳や、全長約38㍍の前方後円墳である鵜灘山《うなだやま》6号墳、前方後円墳の可能性がある堀部《ほりべ》1号墳などがあります。多数の前期古墳が築造される一方で、講武平野にはそれに見合う十分な耕地はありません。

名分丸山1号墳と佐陀川、日本海(中央の前方後方墳の位置に名分丸山1号墳が立地する)

 なぜ、わずかな耕地しかない中に多くの前期古墳が築造されるのでしょうか。講武平野周辺では弥生時代後期-古墳時代前期にかけて近畿地方や北陸、九州、朝鮮半島といった遠隔地の土器が、多数出土しています。これらは日本海を介した交流によってもたらされたと考えられます。

 さらに、稗田《ひえだ》遺跡や佐太講武貝塚では、これらの海を介した交流を傍証するかのように、外洋を航海できる船首と船尾が反り上がったゴンドラ形の船(準構造船)の船材が出土しています。これらの遺跡は、佐陀川の沿岸で名分丸山1号墳からもほど近い場所に位置しています。

 名分丸山1号墳の立地する環境や周辺から出土した土器などからは、海に関わり、列島各地や朝鮮半島と幅広く交流を行った首長の存在が想像できそうです。名分丸山1号墳は、日本海の海上交通に関与した首長が葬られた墓だったのではないでしょうか。