第92話 奈良時代、三瓶山は出雲国・石見国?
平石 充 主席研究員
(2023年9月5日投稿)
いきなりですが、富士山の山頂は何県でしょうか? 実は、明治時代以降、静岡・山梨両県が自県だとして争っていた経緯があり、山頂の県境は現在も未確定です。そして、富士山が世界遺産に登録された翌年の2014年に、両県知事が「県境は定めず、協力して環境を保全していくこと」で合意しています。
さて、三瓶山の話に移りたいと思います。三瓶山は奈良時代の『出雲国風土記』(以下『風土記』)には、国引き神話に「石見国と出雲国との堺なる、名は佐比売《さひめ》山」としてみえますが、出雲国・石見国のどちらに属していたのでしょうか。
現在の三瓶山は、一番高い男《お》三瓶山(標高1126㍍)をはじめ、女《め》三瓶山を除き、全て大田市です。大田市は石見部だから古代でも石見国では、と思うかもしれませんが、男三瓶山北麓の大田市山口町は、江戸時代には松江藩領・出雲国神門《かんど》郡山口村でしたから、簡単に石見国とはいえなのです。
ここで、もう少し『風土記』を見てみたいと思います。佐比売山は国引き神話以外では飯石郡の山にみえ「石見と出雲の二国の堺」とされていますが、神門郡の山には記載されていません。出雲国内では飯石郡の山とみられていたようで、この飯石郡の佐比売山とは、ずばり女三瓶山のことでしょう(地図参照)。
こうしてみますと、やはり古代には佐比売山は石見国と考えられていたのではないかと思います。この考えを補強するのが、山の名前を冠した神社の存在です。『風土記』には399の神社の名前が記されていますが、佐比売社は見当たらず、現在も出雲部に佐比売山神社はありません。
一方、石見国の風土記は残っていませんが、10世紀にできた『延喜式』の石見国安濃《あの》郡(大田市北部)に佐売山神社の記載があり、古代からこの山に対する信仰があったことは確実です。
また、大田市川合町の物部神社、同三瓶町の三瓶山《みかめやま》神社・邇幣姫《にべひめ》神社・八面《やおもて》神社もいずれも三瓶山に関わる伝承を持っており、同町の高田八幡宮の祭神には佐比売山神が見え、本宮神社には八面神社が境内社として見えます。安濃郡の平野部は、三瓶山に源を発する三瓶川・静間川水系に属し、三瓶山はまさに水源の山といえます。
これに対し、出雲国側では先に述べた神門郡山口村と飯石郡角井村が三瓶山を水源としており、江戸時代には山口村には三瓶神社、角井村には八面神社がありました。ただし、ここを除くと石見国境付近までほぼ神戸川水系ということができます。同じ山でも石見国と出雲国では、全く重要性が異なっているのです。
佐比売山という名も、おそらく石見国安濃郡の人たちの呼び名で、サは田の神を指し、全体で〈水田の女神の山〉という意味になり、それを出雲国側でも用いているのでしょう。古代の佐比売山は石見国の山なのです。