いまどき島根の歴史

第93話 「花押」って、どう書いた?!

矢野健太郎 専門研究員

(2023年9月12日投稿)

 大河ドラマや歴史小説などがお好きな方は「花押《かおう》」という言葉を目や耳にされたことがあるかと思います。この花押とは、幕府の将軍や戦国武将たちが自署の代わりに書いた記号で、その形が花の模様のようであったことから花押と呼ばれました。また、当初は印判ではなく、手書きだったことから書判《かきはん》とも呼ばれました。このように花押は記号化されたサインであったことから、文書に書かれることによって、その内容を保証するという重要な役割を持ちました。

 さて、書判という言葉にも表されているように、もともとは書いて記されていた花押ですが、徐々にその印章化が進んでいったとされています。その一つが「花押型《がた》」です。戦国時代に武将たちの間で用いられたとされ、江戸時代には大名たちの間で、より一層、使用されることになったようです。

亀井茲監籠字式花押型(島根県立古代出雲歴史博物館所蔵)

 今回、紹介するのは、島根県立古代出雲歴史博物館所蔵の津和野藩11代藩主・亀井茲監《かめいこれみ》の花押型です。写真を見て分かるように、この花押型は花押の輪郭のみが彫られています。花押型で輪郭を押した後、その内側を塗り絵のように墨で塗って花押を完成させたのでした。こうした花押型を特に「籠字《かごじ》式花押型」といって、江戸時代に流行しました。また、異なる大きさの花押型があることにもお気づきかと思います。これは手紙や文書を出す相手によって花押の大きさを変えていたからです。では、その作法とはどのようなものだったのでしょうか。

 そのヒントは花押型と一緒に残されていた小板にありました。この小板には花押の使い分けについて記されていて、それによると小は幕府の老中や所司代など、中は幕府の大坂城代、若年寄、旗本など、大は諸大名家の家老や津和野藩の家臣などに対して使用するとされています。

 つまり、幕府の重役とのやりとりにおいては小さな花押を使用し、津和野藩の家臣とのやりとりでは大きな花押を使用していたことがわかります。江戸時代のお殿さまといっても、現在の私たち同様に、いろいろと気を使っていたことがうかがえるのではないでしょうか。

大の花押が据えられた亀井茲監書状(津和野町郷土館所蔵)

 江戸時代の花押について紹介しましたが、現代社会においても花押を使用している人物が存在します。誰だと思いますか。それは総理大臣や国務大臣です。数十年、数百年後の未来に、平成や令和の総理大臣の花押の書かれた文書が、歴史史料として研究される時代がやってくるのかもしれません。