第96話 雲南の前期古墳
吉松優希 主任研究員
(2023年10月3日投稿)
皆さんは、たくさんの前期古墳が雲南市にあることをご存じでしょうか。有名な古墳としては、神原神社《かんばらじんじゃ》古墳(雲南市加茂町・方墳)があります。神原神社古墳は竪穴式石室を埋葬施設とし、景初《けいしょ》3年銘三角縁神獣鏡《めいさんかくぶちしんじゅうきょう》や環状の装飾の付いた大刀《たち》(素環頭《そかんとう》大刀)、鉄鏃《てつぞく》など豊富な遺物を副葬しています。景初3(239)年といえば、邪馬台国《やまたいこく》の女王・卑弥呼《ひみこ》が中国の魏《ぎ》に使者を送った年としても有名です。
雲南市での古墳時代の始まりは加茂町で、その様子を知ることができます。神原神社古墳にほど近い赤川沿岸の丘陵上に、神原正面北《しょうめんきた》遺跡や土井《どい》・砂《すな》遺跡で前期古墳が築造されます。神原正面北遺跡では、弥生時代中期に集落が営まれ、弥生時代後期に多数の墓が築造されます。続いて出雲平野に西谷墳墓群に代表される四隅突出型墳丘墓が築造される後期の終わりごろになると、この遺跡では墳墓がみられなくなります。
さらに、西谷墳墓群などで四隅突出型墳丘墓が姿を消すころには、再び墓地となります。古墳時代初めごろに位置付けられるE5号墳が築造され、古墳時代の幕が開けます。同じ時期には土井・砂遺跡でも古墳の築造が開始され、土井・砂1号墳では破鏡(破砕された鏡の一部)が出土しています。
このように雲南市では、古墳時代の始まりを迎えると同時に古墳の築造が開始され、最初に記した神原神社古墳が築造されます。これらの古墳群の登場は、この地域の社会変革の一端を示すものかもしれません。
ところが、加茂町では神原神社古墳以後は大規模な古墳はみられなくなります。
一方、三刀屋町には神原神社古墳に後続して、松本3号墳、松本1号墳と連続して前方後方墳が築造されます。このうち、発掘調査が行われた松本1号墳では、粘土に覆われた木棺内から中国の漢で製作された鏡や小型の鉄剣などが出土しています。このことから分かるように、神原神社古墳と松本1号墳では墳丘の形だけでなく、埋葬施設や副葬品の内容と構成に大きな違いがみられます。
同じ雲南市の前期古墳でも、神原神社古墳と松本古墳群では、それぞれの古墳に埋葬された被葬者の出自や古墳築造の背景には違いがありそうです。
実は三刀屋町でも松本1号墳以後の前期古墳はあまり知られていません。ここまでみてきたように、弥生時代後期から古墳時代前期にかけては、雲南市では多数の墳墓が築かれますが、1カ所で継続して墳墓が造られることはないのです。
ここで広く出雲での前期古墳の在り方をみてみましょう。安来市荒島町では継続して首長墳が築造されるなど、雲南市の状況とは大きな違いがあります。出雲の中でも首長墳の築造の状況からみた場合、古墳時代前期は、比較的安定していた地域と、不安定な地域があり、地域によって社会構造は異なっていた可能性があります。出雲の古墳時代の始まりを考えるヒントは雲南市に隠されているのかもしれません。