いまどき島根の歴史

第97話 出雲神楽の不可欠な道具

石山祥子 専門研究員

(2023年10月17日投稿)

 今年は4年ぶりに、神事や催しを縮小せずに秋祭りを行うところが増えているようです。そして、秋祭りに付き物の芸能として、神楽を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。

 主に島根県東部で伝承されている出雲神楽の特徴のひとつとして、能楽(能・狂言)から影響を受けている点が挙げられます。能楽が出雲神楽に流入したのは17世紀以降と考えられます。たとえば、佐陀神能(松江市)や見々久《みみく》神楽(出雲市)などが保持する演目「式三番《しきさんば》」は能楽とほぼ同じ構成・詞章で行われ、この演目専用の面を使用する点も共通します。ただし、現在の能楽での演目名は「式三番」ではなく、「翁《おきな》」と言います。

 他にも、小鼓《こつづみ》や大鼓《おおかわ》といった能楽特有の楽器を使うなど、出雲神楽の随所で能楽の要素を見いだすことができるのですが、神楽と能楽の両方で不可欠の道具といえる面に目を向けると、「式三番」以外で能面を使用する例は、これまでほとんど確認されていませんでした。

 しかし、近年の調査により、面打《めんう》ち(能面師)の作である可能性の高い面が、出雲神楽で使用されていることが明らかになりました。

 それは、雲南市大東町の佐世《させ》神楽社中が所蔵する女面です。面全体が塗り直されているため、制作当初の面影を想像するのは難しいですが、やや年長の女性を表した面だったと考えられます。この面が能面だとする根拠は面の表ではなく、裏側にあります。

佐世神楽社中所蔵の女面

 面の裏には、朱漆で「享保四己亥年十□月吉辰」「宮田筑後」などと記されており、「宮田筑後」と読める焼印も押されています(□は判読不能文字)。宮田筑後は、生没年は不詳ですが、17世紀後半から18世紀前半に京都で活動していた面打ちでした。

「宮田筑後」の焼き印

 つまり、この女面は面打ちによって1719年ごろに制作された面ということになります。ちなみに、同人作の能面は、土佐藩主・山内家伝来の能面(現在は高知県立高知城歴史博物館所蔵)や福岡市博物館所蔵の能面コレクションなどの中にも認められます。

 神楽に限らず、各地で伝承されてきた芸能や行事で用いられる面の場合、制作当初とは異なる用途で使われていたり、塗り直されたり、一部が改変されたりする事例は珍しくありません。

 今回、紹介した女面が出雲で神楽面として使用されるようになった経緯は今のところ分かりませんが、手近にある既存の道具や材料を取り入れながら、芸能や行事がその命脈をつないできたことを改めて感じさせてくれる事例といえるのではないでしょうか。