いまどき島根の歴史

第100話 中海の赤貝とそりこ舟

浅沼政誌 主任研究員

(2023年11月7日投稿)

 11月に入り、秋の深まりを日々感じられるようになりました。早いもので、今年も残すところ、ひと月余りとなり、これから年末に向けて、本格的な冬を迎えることとなります。

 冬になると鍋やおでんなどが恋しくなりますが、皆さんは、冬ならではの食材を答えなさいと尋ねられた場合、何を挙げられるでしょうか。出雲地方で生まれ育った人、特に50代以上の人であれば、答えの一つに、必ず「赤貝」があるのではないかと思います。

 赤貝は、出雲地方では正月のおせち料理には欠かせないもので、冬の味覚を代表する季節の食材として、古くから親しまれてきました。「赤貝」と呼ばれてはいますが、正式には「サルボウガイ」という赤貝に似た貝で、赤貝よりも小さい貝です。

赤貝(サルボウガイ)

 とはいえ、私たちにとっては「サルボウガイ」よりも愛着のある「赤貝」と呼ぶほうが、自然な名称であると思います。ちなみに、スーパーマーケットなどでよく目にする「赤貝缶詰」は、サルボウガイが使われているそうです。

 さて、この赤貝ですが、かつては中海の特産でした。明治の初期ごろから漁獲量が減少し、明治20年代後半に養殖が始まったようですが、1967(昭和42)年の中海干拓の着工とともに、終了しました。しかし、中海干拓の中止に伴い、試験養殖が始まり、今年、貝養殖の漁業権が復活して、本格的な養殖に取り組まれるようです。中海の赤貝が再び特産として復活することを楽しみにしたいと思います。

 赤貝は海底の泥の中で生息するため、かつて中海では、底引き漁によって採取しました。「ケタ(桁)」と呼ぶ長方形の枠に袋状の網がつき、枠の下に鉄の爪を取り付けた道具を海底に沈め、これを船で引いて赤貝を採取するものです。この漁に使用された船が「そりこ舟」と呼ばれる舳先《へさき》が大きく反り上がった船でした。名称は、この姿に由来するといわれ、昭和初年ごろには中海沿岸で100隻余りあったと言われます。

島根県立古代出雲歴史博物館蔵で展示されていたそりこ舟。赤貝の漁に欠かせず、舳先が大きく反った独特の形をしている(写真提供・島根県立古代出雲歴史博物館)

 このそりこ舟は実は木を削って造った「くり船」で、遺跡から見つかる古代の丸木舟に類似するものです。もともとは1本の木を削っていたようですが、大木の入手が難しくなり、2本以上の木をそれぞれ削って、つなぎ合わせる方式に変わったものが今に残されています。現在、同じ構造の船で、現役で使用されているものに、松江市の美保神社で行われる諸手船《もろたぶね》神事の諸手船があります。

 これらの船を造る造船技術はすでに途絶え、諸手船も、いつかは形を似せた別の素材で造船されるかもしれません。赤貝も、中海の海底の酸素が少なく育たないため、酸素の多い水中に吊るした籠で養殖する方式に変わったそうです。伝統的な文化を維持・復活するための難しさを考えさせられます。