いまどき島根の歴史

第106話 砥石の存在

吉松優希 主任研究員

(2023年12月19日投稿)

 先日、自宅の包丁の切れ味が悪くなったので、初めて砥石《といし》を購入してみました。いろいろな刃物を使う上では日頃のメンテナンスなどのため、砥石は今も昔も欠かせない道具です。日本列島に鉄器が導入された弥生時代もそれは同じです。

 島根県には弥生時代中期ごろに鉄器がもたらされます。県内で出土した弥生時代の鉄器は墓や集落などから520点以上が出土したことが知られています。この出土量は、全国的に見てもさほど多いものではありません。しかし、地下から出土する鉄器は土中の環境によって変形や腐朽することから、実際に存在していた数量を明らかにすることは極めて困難です。

 ここで注目したいのが砥石の存在です。弥生時代の竪穴建物などを発掘すると砥石が出土することが多々あります。一般的に砥石は細かい粒子のものが鉄器の仕上げ用に使用されることから、砥石から鉄器の普及度を探ることができます。

大堤Ⅱ遺跡(松江市玉湯町)2区SI01出土砥石(島根県埋蔵文化財調査センター所蔵)

 実際に出雲地域から出土した砥石101点を中心に観察をしていくと、約半数の45点の砥石が粒子の細かいもので、鉄器の仕上げ用として使用されていることが分かりました。鉄器使用の根拠としては、砥石に1㍉以下の非常に細かい傷がみられ、鋭利な刃物が砥石に接していた可能性があるからです。

 当時、このような鋭い傷を砥石につけることができるものは鉄器以外には考えられません。しかし、実際に観察した多くの砥石が出土した竪穴建物からは、肝心の鉄器は一緒に出土していない場合が多いのです。このことから、弥生時代中期以降の出雲には、現在知られているよりもさらに多くの「見えざる鉄器」が存在していた可能性が考えられます。

大堤Ⅱ遺跡2区SI01出土砥石(部分拡大)鉄器による傷か?

 この「見えざる鉄器」は砥石以外からも見いだすことができます。例えば、松江市西川津町の西川津遺跡から出土している骨角《こっかく》製品があげられます。西川津遺跡から出土している骨角器素材(鹿角《ろっかく》)の多くには刀子《とうす》状の鉄器による加工痕が認められますが、西川津遺跡から出土した鉄器はわずか1点のみなのです。このように鹿角の加工痕からも「見えざる鉄器」を見いだすことができそうです。

西川津遺跡で出土した鉄器による加工痕のある鹿角(島根県埋蔵文化財調査センター提供)

 それでは当時、実際に存在したはずの鉄器はどこに行ってしまったのでしょうか。一つは土中の環境によって分解してしまい、失われてしまった可能性があります。もう一つには再利用された可能性が考えられます。当時の鉄は人々の生活を支える貴重な素材でした。松江市矢田町の平所《ひらどころ》遺跡の玉作工房からは、玉作用の鉄針などとともに、一部が欠損した鋤先《すきさき》のような鉄器が出土しています。この鋤先は意図的に切断されたような痕跡もあり、鉄のリサイクルを物語る資料といえそうです。このように弥生人も限られた資源を可能な限り有効活用していた様子がうかがえます。今後はさまざまな器物から複合的に弥生時代の人々の生活を考えていく必要がありそうです。