第108話 出雲に伝わる北陸由来の獅子舞
石山 祥子 専門研究員
(2024年1月16日投稿)
新年の季語でもある「獅子舞」は、この時期によく目にする正月の風物詩のひとつです。島根県内では新年以外に春や秋の祭りにも獅子が登場し、舞を舞ったり、無病息災を願う人びとの頭を噛《か》んでまわったりするなど、道中の悪魔や人々の災厄を祓《はら》う聖獣として親しまれてきました。
出雲市は獅子舞が盛んな地域のひとつですが、市西部の多伎藝《たきき》神社(出雲市多伎町)の秋の例大祭に登場する獅子は一風変わった姿をしています。最大の特徴はオオイと呼ばれる幕の中に10人前後が入る点です。出雲市域では幕の中に3人入る獅子が一般的で、4人以上が中に入る獅子舞は県内でもあまり例がありません。
しかし、百足《むかで》獅子とも呼ばれる多人数が入る獅子は山形県や富山県、石川県、山口県など各地に点在し、多伎藝神社の獅子舞は他の地域から伝わった可能性が高いことが分かってきました。
多伎藝神社は、江戸時代前期から約250年もの間、たたら製鉄業を営んだ田儀櫻井《たぎさくらい》家本宅と、鉄製品の積み出しなどで栄えた田儀港との中間地点に所在する神社です。櫻井家で生産された鉄製品は同家や地元の廻船《かいせん》によって日本海や瀬戸内海の沿岸諸国に流通し、各地の特産品も出雲にもたらされました。中でも現在の北陸地方は主要な交易地のひとつであり、多伎藝神社の獅子舞は、鉄を介した交流の中で北陸から伝わったと考えられます。
多伎藝神社の獅子舞のルーツを北陸とみる根拠は、鉄製品の流通ルートだけに限りません。舞の中に重要な手掛かりがあります。富山県西部から石川県一帯で伝承されている多人数による獅子舞では、「獅子殺し」と呼ばれる、天狗《てんぐ》によって獅子が討たれる少々ショッキングな場面が見られます。
実は、これとよく似た場面が多伎藝神社の獅子舞にも出てくるのです。同社の場合、天狗ではなく、刀を持った宮司によって獅子は斬り伏せられます。多人数であることに加えて、北陸独特の獅子殺しも伝承していることから、そのルーツが北陸にある可能性がより高まったといえるでしょう。
ちなみに、「獅子殺し」は霊獣である獅子そのものを退治するのではなく、獅子に宿った災厄を祓い落すことが目的であり、最後に獅子は復活して舞を舞うので、どうかご安心ください。
なお、今回取り上げた北陸地方の獅子舞の伝承地の中には、元日に発生した能登半島地震で被害を受けた地域も含まれます。被災地域の一日も早い復興を願ってやみません。