いまどき島根の歴史

第118話 五節舞と出雲

橋本 剛 主任研究員

(2024年4月10日投稿)

 平安時代の宮廷社会が舞台の大河ドラマ「光る君へ」。大迫力の合戦シーンはおそらく期待できませんが、藤原氏を中心に、権力をめぐって渦巻く人間模様が描かれています。物語は主人公まひろ(紫式部《むらさきしきぶ》)と三郎(藤原道長《ふじわらのみちなが》)を軸に展開されますが、三郎が時の右大臣・藤原兼家《かねいえ》の息子であったことをまひろが悟る五節舞《ごせちのまい》のシーンは、序盤のヤマ場として印象的でした。

 五節舞とは、毎年11月の新嘗祭《にいなめさい》(天皇がその年の収穫に感謝する祭祀《さいし》)にともなって、貴族たちから献上された舞姫が舞を披露する儀式です。数ある朝廷儀式のなかでも、ひときわ華やかなものとして知られていました。紫式部自身も五節舞について関心が高く、彼女の日記には五節舞に関する多くの記述が残されています。

『承安五節繪』(1830年、藤原壽栄 写、国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2542679より)。1171(承安元)年の五節舞で内裏に参入する舞姫。

 この五節舞はもちろん、都で挙行される儀式なのですが、決してその中で完結するものではなく、出雲国とも無関係ではありませんでした。というのも、献上者に指名されたものは舞姫だけではなく、関連する装束や調度品なども準備する必要があったため、大変な負担を強いられました。よってそれをまかなうため、各地の国司に対して物品の献上を命じていたのです。

 少し後の時代になりますが、1132年の五節舞の際には、舞姫献上者であった公卿・藤原宗能《むねよし》に対し、出雲国司が筵《むしろ》30枚を献上しています。儀式において敷物として用いる筵は出雲国のブランド品として著名でしたので、これが出雲国に割り当てられたのもうなずけます。

 さらに、国司自身が舞姫を献上することもありました。1167年には、出雲国司であった藤原朝時《ともとき》が献上者となったことが分かっています。しかし、儀式当日までには一悶着《ひともんちゃく》あったようなのです。

1167年の五節舞について記す『兵範記』。出雲国司が献上した五節舞姫の記述が見える(国立公文書館デジタルアーカイブより)。

 朝時は「養父が亡くなりその喪に服すため」と称して、辞退を申し入れました。先に述べたように、献上者に指名されると過重な負担を課せられることになります。そのため、喪に服すというのは表向きの理由で、なんとか献上を回避したいというのが本音だったのかもしれません。困った朝廷は代役として伊豆国司を指名しますが、なんとこちらにも固辞されてしまいます。結局、「妻の喪の際にも舞姫を献上した者がいた」という45年も前の先例を持ち出されたこともあり、朝時が折れて献上を承諾することになりました。

 きらびやかで雅な舞が披露される五節舞ですが、その舞台裏では、儀式の運営をめぐって各地の国司たちをも巻き込んだ様々な駆け引きが繰り広げられていたのでしょう。