いまどき島根の歴史

第120話 梅の楉の話

石山 祥子 専門研究員

(2024年5月1日投稿)

 今回は梅の「楉《すわえ》」がテーマです。見慣れない字だと思いますが、若木の小枝を意味する言葉で、「しもと」とも読みます。梅の楉は、各地の祭りや神事の中でしばしば用いられています。筆者が初めて目にしたのは、梅の栽培が盛んな福井県若狭地方の春祭りでのことでした。

梅の楉(福井県若狭町横渡、2017年4月14日撮影)

 着飾った男児の背中に、海藻や紙垂《しで》と一緒に若葉の付いた梅の楉が1本、帯に挿し込まれていたのです。その時は梅の産地らしい飾りくらいに思っていましたが、その後、各地の祭りや神事でも梅の楉が使われていることに気付きました。

梅の楉を背中に挿した男児(福井県若狭町能登野、2017年4月15日撮影)

 例えば、住吉大社(大阪市)で年頭に行われる除厄と招福の神事「踏歌《とうか》神事」に、梅の楉を持った役が登場します。また、1月中旬に行われる伊太■(「示」偏におおざと)曽《いたきそ》神社(和歌山市)の「卯杖祭《うづえのまつり》」では、祭りの名前でもある卯杖は梅の楉を束ねて作られ、邪気を祓《はら》う神事で用いられます。

 県内では、出雲地方の事例が確認されています。赤穴《あかな》八幡宮(飯南町)が所蔵する江戸時代後期の史料によると、旧暦9月15日の祭礼に出される3基の神輿《みこし》には「梅ノスルハイ(楉)」を持った氏子がそれぞれ付き添いました。この祭礼は現在、毎年11月1日に行われ、神輿に従うのは赤い布の付いた榊《さかき》の枝に変化しています。

 旧暦10月、全国から出雲に集った神々にお帰りを願う神事でも、梅の楉を用いるところがあります。万九千《まんくせん》神社(出雲市斐川町)では、26日夕刻の「神等去出祭《からさでさい》」で、宮司が社殿の扉を梅の楉でたたきながら「お立ち」と3度唱えて、神送りします。多賀神社(松江市)でもかつては社殿を梅の楉でたたいたと伝わります。

梅の楉を持った万九千神社の宮司が社殿の扉を叩き、神送りをする(万九千神社提供)

 梅は中国原産の樹木で、日本には奈良時代以前に薬用植物として渡来したようです。先に挙げた踏歌神事や卯杖はどちらも、古代中国の民間行事や風習がルーツで、『日本書紀』によると7世紀終わりに宮中の正月行事として取り入れられました。踏歌神事は同書では「踏歌《あられはしり》」と記されています。また、卯杖は邪鬼を祓うまじないとして用いた道具で、杖になる木の一つが梅でした。いずれも平安時代以降に宮廷行事としては廃れますが、形を変えて各地の祭礼や神事の中に伝わっているのです。

 中国由来の厄祓いや招福の行事や風習の中で、中国原産の梅の楉が使われるのは単なる偶然ではないでしょう。各地の祭りや神事で用いられる梅の楉は、その場の厄を祓い、清浄にする働きを期待されてきたと言えます。県内の事例は、中国の民間行事と直接関係はありませんが、薬用としても用いられる梅の持つ力が民間にも伝わり、祭礼や神事の中に取り入れられたと考えられます。新緑がまぶしい季節を迎えましたが、若葉生い茂る梅の木にも目を向けてみてはいかがでしょうか。