いまどき島根の歴史

第123話 書類に印を押す

野々村 安浩 特任研究員

(2024年5月22日投稿)

 新型コロナの感染流行のころから、近年、国や地方自治体、企業間で事務の効率化の一環として、いろいろな手続きにオンライン化が図られるようになりました。その一つとして書類への押印の省略があげられます。

 公的な機関からの依頼文や役所への届け出書、企業との取引時の契約書、請求書など、日常生活のなかで多くの書類に印鑑が押されてきました。それでは書類に押印することは、いつから始まったのでしょうか。

 奈良時代は朝廷からの命令や諸国からの報告は文書で行う「律令文書《りつりょうもんじょ》主義」が原則でした。その文書が正式なものであることを証明するために、公印が押されるようになったのです。

 当時の律令という法律には、公印は次の3種類で、その規格や押印される文書は次のように定められていました。①内印(天皇御璽《ぎょじ》、約8.5㎝角)…天皇の命令の詔勅《しょうちょく》②外印《げいん》(行政統括の最高機関である太政官《だじょうかん》の印、約7㎝角)…中央の太政官からの命令文書、③諸国印(約6㎝角)…諸国からの報告文書。また、追記や後の訂正を防ぐために、文書に記載されている事柄や数字、年月日などの個所に押すことになっていました。

 諸国印は704年に初めて鋳造され諸国に配られ、「〇〇國印」が報告文書に押印されるようになったのです。そのため、現在正倉院に正倉院文書として伝わる、美濃国(現在の岐阜県)から報告された702年の戸籍には国印が押されていません。また、国印は国名をどの文字で表記するかが公的に決まったことも意味しました。

(写真1)正倉院文書「隠伎国正税帳」(複製品)(古代出雲歴史博物館所蔵。原品、正倉院事務所所蔵)

 ところで、(写真1)は隠伎国の財政状況を報告した734年の「正税帳」の一部(海部郡の冒頭部、現海士町)ですが、規定のとおり文書面全体に多くの印がおされています。その印面は(写真2)のような字体の「隠伎國印」です(国名表記「隠岐」は8世紀末から)。

(写真2)「隠伎國印」(復元)の印面

 はじめに述べたように、押印省略の動きはありますが、現在でも大型の印が使われている場面があります。各界の功労者を表彰する春と秋などの叙勲の際に、勲章とともに渡される証書「勲記《くんき》」には、国璽の「大日本国璽」(約9㎝角)の印章があります(写真3)。

(写真3)勲記(個人蔵)一部加工

 このことは、いわば「現代に生きる律令」の一面といえるのでしょう。