いまどき島根の歴史

第127話 明治5年浜田地震の石碑

榊原 博英 特任研究員

(2024年6月19日投稿)

 過去の災害を今に伝える「自然災害伝承碑」の地図が、国土地理院のホームページで公開されており、島根県には31の碑があります。県内の石碑は洪水、豪雨によるものが多く、唯一地震に関する石碑が浜田市にあります。

 現在の浜田市牛市町、浜田川沿いのJR山陰本線牛市踏切近くに、1872(明治5)年の浜田地震による震災紀念之碑があります。

震災紀念之碑

 地震から24年後に地元の住民によって建てられ、1943(昭和18)年の大水害で流出し再建されました。現在は、地元自治会により解読文を記した説明板が建てられています。碑文は漢文350字で、次の⑴~⑺のように書かれています。

(1)天地の変はいずれの時か起こる。おそらく平生の備えが必要である。

(2)1872(明治5)年2月6日に浜田市街地に大地震が起こり、家は倒れ四方に火災が起こった。あらゆるものが死傷し繁華した町は一日で廃虚となった。

(3)我が牛市は最も被害が多く、約80戸が転覆・焼け落ち、僅か3戸が残った。人口約300名のうち、圧死や火傷した死者約40名、負傷者約100名であった。死別した者も多く、親を亡くした孤児、子を亡くした者があり、一家が絶滅したものもあった。住む場所も家もなく多くの命と財産が火事で燃えてしまった。

(4)先人によると浜田は昔から地震が多く、近くは1854(安政元)年11月5日と1859(同6)年9月9日に地震があり、家が傾き屋根の庇が落ち、人々は野外に避難した。

(5)1872(明治5)年の災害は最も悲惨で、その日は曇りで無風、午後に微震があった。日暮に大地震があり家屋が倒れた。その後も微震が数ヶ月止まなかった。前年の冬に井戸の水が涸れ大雪が降り東北の海上が赤く見えた。

(6)今や家屋は建ち並び、民は安堵している。既に惨劇の跡は無く、回復事業の効果があった。

(7)日々の中で乱れを忘れず、平生でも災異を忘れないよう心から願う。

 碑文には、初めの(1)と終わりの(7)が災害への教訓、(3)の被害状況、(4)の過去の災害など、後世に伝えようとした内容が込められています。災害の記憶と教訓を記した石碑は、時勢によって、忘れられたり見直されたりします。しかし、移転を繰り返し水害に遭いながらも震災紀念之碑は、建立者「牛市人民」の教訓を刻み残し、これからも存在し続けます。

 古代文化センターのホームページでは、「出雲・石見・隠岐災害記事目録」が掲載してあり、江戸時代以前の1000件を超える災害記事を見ることができます。身近にある自然災害伝承碑を訪れ、災害への備えに思いをあらたにしてみてはいかがでしょうか。碑文にあるとおり、災害はいつか起きるかわかりません。普段から災異を忘れず備える必要があります。