いまどき島根の歴史

第131話 弥生時代の金床石 

吉松 優希 主任研究員

(2024年7月24日投稿)

 みなさんはこの石はなにに使用したものと思いますか。

北原本郷遺跡SI01 出土台石(島根県埋蔵文化財調査センター所蔵)

 この石は雲南市木次町に所在する北原本郷遺跡の竪穴建物から出土した幅12~16㎝ほどの平たい石です。弥生時代後期ごろのものと考えられます。さて、この石をじっくり観察してみると中央が円形に赤く変色しているのが分かります。さらにその中央には黒色物が付着しています。赤い変色は熱を一定時間受けたことを示しており、黒色物はなんらかの炭化物などが付着していると考えられます。中央部分を触ってみると何かを叩いたような痕跡もあります。肉眼の観察などで得られる情報は限られていますが、石の表面をデジタルマイクロスコープで30倍に拡大すると、細かくこびりついた黒色物、その周辺に茶色く変色している部分が確認できました。

北原本郷遺跡SI01 出土台石(部分拡大) 錆か?

 石が赤く焼けるほど高温で、何かを叩く台として考えられるものは鉄器の製作で使用する金床石《かなとこいし》です。この石が金床石であれば、茶色く変色している部分は、鉄を叩いたときに付着した鉄分が錆化したものと考えることができそうです。このことから北原本郷遺跡では弥生時代後期の段階に鉄器加工を行っていた可能性があります。

 このような特徴をもつ石は松江市から吉賀町まで、県内各地の弥生時代の遺跡から出土しています。どの石も形は同様で、中央が円形に赤か黒色に変色しています。細かく見ていくと茶色く変色した部分も多数見られます。いずれも金床石の可能性があり、鉄器加工が盛んにおこなわれていた可能性がありそうです。

鍛冶工房復元模型(島根県立古代出雲歴史博物館提供、雲南市教育委員会蔵)
鍛冶工房は奈良時代の復元、左の2人が作業で金床石を使用している

 島根県には弥生時代中期ごろに鉄器がもたらされ、弥生時代の墓や集落などから520点以上が出土しています。しかし、金床石の出土した北原本郷遺跡の竪穴建物からは肝心の鉄器は出土していません。金床石の存在から鉄器加工を行っていることは想定できますが、加工された鉄器が別の場所に流通したり、土中の環境によって腐朽してしまった可能性があります。実際に存在していた数量を鉄器そのものの出土数から明らかにすることは極めて困難で、出土したものより多くの鉄器が島根の弥生社会の中には流通していた可能性があるのです。この「見えざる鉄器」については、砥石や鉄器による加工痕がある骨角器など、様々な遺物からも見出すことができます。

 島根の弥生社会を考えていく上では研究対象となる「もの」だけでなく、それに関連する遺物や遺構などをつぶさに観察し、検討していく必要がありそうです。そのような積み重ねをすることで、弥生時代の生活や社会の様子をより豊かに描くことができるのです。