いまどき島根の歴史

第133話 島根近海のニホンアシカ

今福 拓哉 主任研究員

(2024年8月7日投稿)

 島根大学所蔵のニホンアシカ剥製標本が2024(令和6)年2月2日に島根県指定天然記念物に指定されました。

島根県指定天然記念物に指定されたニホンアシカ剥製標本(島根大学所蔵)

 ニホンアシカは日本産鰭脚類《ききゃくるい》8種の中で最も南に分布していた種で、本州沿岸で繁殖していた唯一の鰭《ひれ》状の四脚をもつ海棲《かいせい》哺乳類です。かつては日本近海に広く分布していましたが、現在では絶滅したと考えられています。

 1880年代以降の分布地点は29カ所以上、繁殖地は4カ所が知られており、島根県内は、竹島や島根半島などで繁殖・分布していたことが確認されています。

 ニホンアシカとして確実に確認できる剥製標本は国内外にわずか19体のみで、そのうち県内で所有・展示されている個体は8体と、世界的にも貴重な剥製標本が島根に集中している状況です。剥製標本が集中することからも、島根県にニホンアシカが生息していたことを容易に想像できると思います。

 今回、県指定天然記念物に指定された剥製標本には墨書のラベルが左前肢に貼られており、明治19(1886)年に美保関近海で捕獲されたニホンアシカであることがわかります。

左前肢の墨書ラベル

 このような剥製標本の存在から、明治時代以降、島根県でのニホンアシカの生息を確認できますが、実は奈良時代にはすでにニホンアシカが生息していたことがわかっています。

 天平5(733)年に完成した『出雲国風土記』では、島根郡と出雲郡に「等々《とど》島」の記載があり、島根郡の等々島では禺々《とど》が常に棲んでいるとされています。「等々」や「禺々」は、日本産鰭脚類の分布状況からニホンアシカを示すと考えられ、当時からすでに島根には多くのアシカが生息していたことを想像できます。

 島根郡の「等々島」は松江市美保関町の美保関灯台沖にある沖の御前島、出雲郡の「等々島」は出雲市大社町の追石鼻《おいせばな》沖の艫《とも》島を指すと考えられます。どちらも沿岸部からほど近い沖合の島で餌となる魚が豊富な好漁場のため、ニホンアシカの生息に適した環境と考えられます。

 さらに、縄文時代や弥生時代の島根にも生息していた可能性が近年分かってきました。島根県が過去に発掘調査を実施した松江市西川津遺跡の動物骨を再調査した結果、ニホンアシカの骨も含まれていることが明らかとなりました。

西川津遺跡(松江市)から出土した弥生時代のニホンアシカの骨(島根県埋蔵文化財調査センター所蔵)

 ニホンアシカは本州の遺跡では縄文時代から近世まで、少量ながら出土しており、島根でも同様に縄文時代以降、近海にアシカが生息していた状況も想定できます。

 なお、出土量から、島根では食料確保や骨、皮の利器使用を目的としたアシカ狩猟は積極的には行われなかったようです。