第137話 石見国司と上級貴族
橋本 剛 主任研究員
(2024年9月4日投稿)
大河ドラマ「光る君へ」は、一条天皇のきさきに仕えた紫式部《むらさきしきぶ》が主人公ですが、彼女の父・藤原為時《ふじわらのためとき》は地方を治める国司としても活躍したことで知られています。ドラマの中では、右大臣である藤原道長が、越前国司となった為時へ衣服を送ったことが示唆されていました。このように、中央の上級貴族と地方の国司は、その立場こそ大きく異なるものの、両者の関係性が垣間見られる場面が少なくありません。今回はその一端を、右大臣にまで上った藤原実資《さねすけ》と、石見国司の関係に注目しつつ探ってみましょう。
実資の日記『小右記《しょうゆうき》』には、国司として石見へ赴任する人物が、あいさつにやってくる場面が複数回みえています。例えば寛仁3(1019)年7月8日条によれば、新任の石見国司である源頼信《みなもとのよりのぶ》が実資のもとを訪れました。翌日、石見へと旅立つ頼信に対して、実資は唐衣・袴《はかま》といった衣服を与えています。まさにドラマに描かれた道長と為時の例と同様です。
また、長元4(1031)年3月9日条によれば、同じく石見国司の資光《すけみつ》(姓不詳)があいさつに来ましたが、ここでは馬一疋《ぴき》を与えています。
このように、『小右記』からは石見国司と実資との関係がうかがえますが、その背景はどのようなものでしょうか。国司としては、上級貴族と関係を結ぶことのメリットは大きいといえます。国司の任期が終われば成績判定を行う会議が開催されますが、そこでは上級貴族に大きな発言権がありました。したがって、国司にとって彼らと良好な関係を築くことは、自身の出世にとって不可欠だったのです。
一方、実資にも石見国司と関係を築く必要がありました。なぜなら、彼は石見国に荘園を所有していたからです。例えば『小右記』によれば、治安3(1023)年10月25日に石見国の荘園から牛3頭、綾《あや》、長筵《ながむしろ》2枚、出雲筵10枚など多様な品が届けられたことがわかります。
上級貴族にとって、自らが保有する荘園を適切に運営していくためには、国司との関係は無視できないものでした。荘園を一言で表現すると、本来、国に納める税が免除された土地のことです。そのため、国司にとって荘園の増加は、税収の減少と直接結びつくため、一般的には好ましいものではありません。国司の中には、新たな荘園の設置を禁止するよう朝廷に働きかける者さえいました。
したがって、国司との関係が悪化することは、荘園の経営それ自体が脅かされることを意味するのです。そこで上級貴族は、国司と積極的に関係を持とうとしたり、あるいは、自身と関係の近い人物が国司に任命されるよう働きかけたりするようになっていくのです。
このように、荘園を所有する上級貴族と、その荘園が所在する国の国司とは、双方の意思によって結びついていました。冒頭で紹介した新任国司が赴任のあいさつに来る場面は、そうした両者の思惑が交錯する、平安時代を特徴づける一幕といえるでしょう。