いまどき島根の歴史

第138話 装飾付大刀の意味

吉松 優希 主任研究員

(2024年9月18日投稿)

 古墳時代後期に古墳に副葬されるものの一つに装飾付大刀《たち》があります。これは金や銀で飾った装具を持った大刀で、古墳時代の中枢である畿内王権で製作され、各地に配布されたと考えられます。柄頭《つかがしら》と呼ばれる柄の先端に装着される飾りのデザインで名前が付けられ、主に朝鮮半島に起源のある環頭《かんとう》大刀と倭の伝統的なデザインの倭装大刀があります。

半島系環頭大刀と倭装大刀の一例(島根県古代文化センター1999『上塩冶築山古墳の研究』、大谷晃二・松尾充晶2004「島根県装飾付大刀と馬具出土古墳・横穴墓一覧」『島根考古学会誌』第20・21集 島根考古学会より)

 出雲地域でも多数の装飾付大刀が出土していますが、出雲の東部(現松江市・安来市)では半島系環頭大刀、西部(出雲市)では倭装大刀といった特徴的な分布をします。

 この装飾付大刀にはどんな意味があったのでしょうか。これには様々な見解があります。配布の背景に畿内の有力豪族との関係を見出す見解があります。具体的には大刀のデザインから、倭装大刀は倭の伝統的な軍事氏族である物部《もののべ》氏、半島系環頭大刀は渡来系氏族である蘇我《そが》氏との関係が推定されます。

 一方で、大刀によってさまざまな職掌や役割が付加され、その職掌や役割ごとに大刀が配布されたとする見解です。私の考えは後者で、なんらかの職掌や役割の下、配布されたと考えています。

 実際に出雲東部の状況をみてみると、当時の中枢域である意宇《おう》平野では岡田山1号墳や御崎山《みさきやま》古墳など、有力な古墳に三葉環頭大刀や獅噛《しがみ》環頭大刀などが副葬されています。

御崎山古墳出土獅噛環頭大刀

 安来地域では横穴墓と呼ばれる墳丘を持たない埋葬施設に単龍環頭大刀や単鳳《たんほう》環頭大刀、双龍《そうりゅう》環頭大刀などが副葬されます。いずれも環頭大刀で出雲東部には、これらの大刀が集中する状況があるのです。

 これらの大刀をもつ人々はどのような役割が与えられていたのでしょうか。そのヒントは大刀の起源にありそうです。環頭大刀はいずれも朝鮮半島や中国大陸に起源があるデザインの大刀です。このことから、これらの大刀をもつ人々は外交など、対外交渉に関わる役割を担ったと仮定することができそうです。そうすると、安来地域の横穴墓被葬者は、意宇中枢の首長層の下で外交などを補佐したと考えることもできそうです。出雲東部は畿内王権から外交の能力などを期待されて、これらの大刀を配布されたと考えることができるのです。

 ただし、この見解は一つの仮説で、装飾付大刀には今回紹介したもの以外にもさまざまな種類があります。さまざまなデザインの装飾付大刀に与えられた意味を考えることで、古墳時代の地域社会や王権との関係を明らかにできるのです。

出雲東部の階層構造