いまどき島根の歴史

第149話 文字をもつ伝承者の記録

 榊原 博英 特任研究員

(2024年12月18日投稿)

 先日、邑南町郷土館を訪れた際に、著名な民俗学者の宮本常一が『忘れられた日本人』の中で「文字をもつ伝承者」として紹介した、田中梅治《たなか うめじ》の記録類が企画展「温故知新-未来に伝えたい-令和の寄贈品展」で展示されているのを見ました。これらは昨年、同館に寄贈されたということでした。

 同書は、実地に赴き、聞き取りで日本各地の農漁村の生活を描いた民俗学の名著です。20年近く前に読みましたが、宮本は田中の様子を「いつも懐に手帳を入れていて、田を耕しているときも、気がつく事があると田を打つ手を止めて畔に出て腰をおろし、これを書きとめた。」と記しています。筆まめな田中梅治のことだけでなく、宮本常一、渋沢敬三(渋沢栄一の孫)といった民俗学者が田中の住む邑智郡田所村鱒渕(現在の邑南町鱒渕・旧瑞穂町)を訪れたことも書かれていたので、文書が展示されていたことに驚きました。

田中梅治の直筆

 田中は1868(慶応4・明治元)年生まれで、1940(昭和15)年に宮本・渋沢が来訪したひと月後に亡くなりました。明治・大正頃の石見山間部で農政を中心に様々なことに取り組み、それを日々まとめ記録しました。役場の助役、村会議員などをつとめ村の発展に寄与する一方で、正岡子規が創刊したホトトギスに入会した俳人でもありました。『瑞穂町誌第1集』には、田中家にある「馬おひや 岡乃小家《おかのこいえ》の 角行灯《つのあんど》」という句碑が紹介されています。

 没後翌年に、邑南町(旧瑞穂町田所)の主に稲作に関する言葉や唄を記した田中の著作『粒々辛苦《りゅうりゅうしんく》・流汗一滴《りゅうかんいってき》 島根県邑智郡田所村農作覚書』が、渋沢敬三のアチック・ミュージアムから出版されています。粒々辛苦とは、『大辞林』で「米の一粒一粒が農民の苦労の結晶であること。転じて、こつこつと地道な努力を重ねること」です。

田中梅治の書いた「粒々辛苦・流汗一滴」(邑南町教育委員会所蔵)

 文書は内容ごとに綴られ、「明治大正昭和之史要」「事物の変遷」など社会全般に関するものから「郷土芸術」「俚言《りげん》(方言)の泉」「田所村叢書」といった郷土に関するもの、「僕の一生」「雑事」「随筆」という個人記録まであり、田中が自身のことだけでなく広い視野で記録をまとめていたことが分かります。

 田中と同年生まれの知識人として、那賀郡長田村(現在の浜田市金城町)出身の能海寛《のうみ ゆたか》がいます。仏教徒として多くを学び、チベット探検に旅立ちますが、1901(明治34)年に中国で音信不通となりました。生家には生前に送られた日記など多くの文書、経典、仏像などが残されており、一部は金城歴史民俗資料館(土日開館)に展示されています。田中梅治は73歳、能海寛は33歳の生涯ですが、その多くの直筆は、広く関心を持ち、当時を生き抜いた人の生の記録です。能海寛の日記、書簡、手帳類の直筆を写真でおさめた全16冊からなる『能海寛著作集』も刊行されています。

 パソコンやスマホでの文字入力が多い令和の時代に、「明治の人」の継続力、ひたむきさが直筆から伝わってきます。