第155話 脇殿の役割
吉松 優希 主任研究員
(2025年2月19日投稿)
史跡出雲国府跡は松江市大草町に所在する奈良時代の官衙遺跡です。当時は、現在の島根県庁や松江市役所、県警本部などが立地する殿町周辺のように官庁街を形成していました。そのうち、六所神社のそばに位置する政庁域は出雲国府跡の中でも重要な建物が位置しています。近年の発掘調査で東脇殿と考えられる建物や前殿と考えられる建物などが発見されています。
政庁域の建物にはどのような機能があったのでしょうか。それを考える手がかりとなるのが、出土した硯の存在です。出雲国府跡では各地区からたくさんの硯が出土しています。
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政庁域では須恵器を転用した硯も含めて114点の硯が出土しています。中でも東脇殿の周辺では、全体の約6割にあたる66点が出土しています。また、朱墨硯も数点ですが出土しており、文書の訂正などで朱墨を用いた可能性がありそうです。余談にはなりますが、朱墨は須恵器を転用した硯にごく少量しか付着していません。貴重品であることから、須恵器蓋のつまみ部分などで少量を大切に使用したようです。以上のことから、出雲国府跡では東脇殿で硯を使用した文書整理等を行っていたと考えることができそうです。
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全国的な事例を見てみると常陸国衙政庁域(茨城県)や下野国庁(栃木県)、多賀城政庁(宮城県)では硯の出土位置の分析から、東西の脇殿で空間利用の違いや格式の差があったと指摘されています。これらの事例では、周辺で硯が多数出土する西脇殿で文書作成、硯の出土が西脇殿よりも少ない東脇殿は口頭決裁の場であった可能性が高いと指摘されています。さらに下野国庁では西脇殿の外側に位置する溝内から木簡の削りカスなどが大量に出土しており、西脇殿が文書作成等の場であったことをうかがわせます。出雲国府跡とは異なった傾向がみられますが、この違いは何に起因するのでしょうか。
1つ目は東国と西国で脇殿の東西での役割が違う可能性、2つ目は出雲国府跡では西脇殿の状況がわかっていないことから、さらに大量の硯が西脇殿の周辺に眠っている可能性です。いずれも未だ課題が残りますが、これからの出雲国府跡の発掘調査の進展が期待されます。建物の遺構だけでは、その建物が何に使われたものか判断することは難しいですが、出土遺物とあわせて考えることで、その建物の役割を明らかにすることや地域の特徴などを考える手がかりを得ることができるのです。