第158話 復元新調された荒川亀斎の蛇頭
石山 祥子 主席研究員
(2025年3月12日投稿)
荒川亀斎《あらかわきさい》(1827~1906)という彫刻家をご存じでしょうか。亀斎は現在の松江市で生まれ、80歳で亡くなるまで彫刻や金工、絵画など様々な分野で才能を発揮し、多くの作品を残した人物です。小泉八雲と親交のあったことでも知られ、明治26年(1893)には、八雲の勧めによりアメリカのシカゴ万国博覧会に出品した「稲田姫像」(出雲大社蔵)が優等賞を受賞しました。
今回はこの亀斎の代表作となった稲田姫とともに、八岐大蛇《やまたのおろち》退治の神話に欠かせない登場人物を題材にした作品について取り上げます。「作品」と言っても、稲田姫像のように鑑賞用に制作されたものではありません。ご紹介するのは、山王寺本郷神楽社中(雲南市大東町)が所蔵する木彫りの素戔嗚尊《すさのおのみこと》の面と大蛇役が着用する蛇頭《じゃがしら》です。

どちらも八岐大蛇退治を題材とした演目で現在も使用されています。素戔嗚尊面は明治29年(1896)の作であるため、蛇頭も同時期の制作と考えられます。社中から亀斎に制作が依頼された経緯は不詳ですが、当時の神楽師が松江の亀斎宅に通い詰め、ようやく引き受けてもらったと社中では伝えられます。
面と蛇頭は先人の熱意が実った証として、同社中で補修しながら大切に扱われてきました。しかし、特に激しい動きをともなう大蛇役が蛇頭は、破損なども少なくないため、昨年、復元新調されました。

復元新調とは、元の作品を手本にして新しいものを作ることで、牙の欠損部分や彩色のはがれなどを補い、蛇頭制作当初の状態に近い形に戻します。また、今回は見た目だけでなく、材料や顔料なども可能な限り亀斎作の蛇頭と同じものを使用することになりました。
亀斎作の蛇頭の復元新調は、京都市在住の面打《めんうち》(能面師)である佐々木光夫さんが手掛けられ、昨春から約半年をかけて制作されました。佐々木さんによると、亀斎の蛇頭には一気に彫り上げたような勢いを感じたそうですが、復元新調では亀斎と同じように一気呵成《かせい》に彫るわけにはいかないため、元の雰囲気が損なわれないよう心掛けて作業に当たられたそうです。
山王寺本郷社中の蛇頭は約130年もの間、神楽の道具として、その役目を果たしてきましたが、その一方で、荒川亀斎という一人の芸術家による芸術作品という側面もあります。また、島根県内で作者や制作年代が判明している蛇頭の作例は極めて少ないため、出雲神楽という地域に根付いた芸能の来歴を知る上での資料や文化財と捉えることもできます。
蛇頭や神楽面、衣装のような道具類は芸能に欠かせないものですが、使用する限り劣化や破損などのリスクと常に隣り合わせです。今回ご紹介した山王寺本郷社中の例に限らず、芸能そのものの人から人への継承だけでなく、道具類についても持続可能な形で次世代へ引き継ぐための試行錯誤が各地でなされています。今回の復元新調もそのような試みのひとつと言えるのではないでしょうか。
現時点で、復元新調された蛇頭のお披露目の日は未定のようですが、新しい蛇頭を着けた大蛇が舞台上で暴れる様を拝見できるのを心待ちにしています。