第163話 自然環境の変化から縄文社会を復元する
今福 拓哉 主任研究員
(2025年4月16日投稿)
島根県大田市と飯石郡飯南町にまたがり所在する三瓶山が活火山であることをみなさんはご存じでしょうか。三瓶山は今からおよそ10万年前に活動を始めており、過去に数回の活動期があったことが地学的な見地から明らかとなっています。飯南町志津見地区の板屋Ⅲ遺跡などの発掘調査では、三瓶山から放出された噴出物(火山灰など)が層状に堆積しており、科学分析や出土した土器型式の対応から、縄文時代に3回の噴火活動を繰り返したことが分かっています。
三瓶山の噴出物によって形成された堆積層は、火山灰(ハイカ)が主な堆積物であることから「第1ハイカ層」、「第2ハイカ層」、「第3ハイカ層」と呼称されています。この各ハイカ層の上下には黒色土層が堆積しており、これらの黒色土層に土器や住居跡などといった人類活動の痕跡が残されています。
さて、第2ハイカ層は前後に堆積する黒色土層で出土する土器から縄文時代前期後葉頃(約5,500年前)に三瓶山の噴火に伴い降下・堆積した火山灰層であることが分かっており、飯南町板屋Ⅲ遺跡や同町下山遺跡といった三瓶山に近い地域では、約60㎝の厚さで堆積していることが発掘調査で明らかとなっています(写真1)。

火山灰は地上に降下・堆積すると自然環境にも影響を与えたことが容易に想像できると思いますが、特に降灰量が多い地域では壊滅的な被害を受けたと考えられています。これを示すように、下山遺跡では第2ハイカ降下直前に使用されていた土器(写真2)と同じ型式の土器が降下後には確認できなくなっています。降灰により急激に環境が変化したため、縄文人が活動できなくなり、生活可能な地点へ移動したことが推定できます。

では、当時の縄文人はどこへ移動したのか、これを把握する手がかりとなるのは、近年、島根県埋蔵文化財調査センターが発掘調査を実施した同町上ノ谷遺跡《かみのたにいせき》にあります。上ノ谷遺跡は板屋Ⅲ遺跡や下山遺跡と異なり、三瓶山からやや離れた地点の遺跡であり、調査によって第2ハイカ層が約20㎝堆積していることを確認しています(写真3)。

比較的火山灰の堆積が薄く、下山遺跡で第2ハイカ降下直前に使用されていた土器と同じ型式の土器が第2ハイカ降下以降に使用されていることが判明しました(写真4)。

さらに、上ノ谷遺跡では第2ハイカ降下直前にはこの土器が使用されていないことも分かっています。このことから、自然環境が急激に悪化した三瓶山近隣地域から比較的影響が軽微であった周辺地域へ縄文人が移動したことが考えられます。
自然環境の変化は時代を問わず社会に大きな影響を与えますが、これは縄文社会でも同じです。当時の環境を把握することで縄文社会の具体像を復元することが可能となります。