いまどき島根の歴史

第167話 古墳からみる隠岐と他地域との関係

 吉松 優希 主任研究員

(2025年5月21日投稿)

 令和7年、隠岐の島町の大座西≪おおざにし≫古墳群の出土遺物が島根県指定有形文化財に指定されました。この古墳群は6世紀後半に築造され、8世紀まで断続的に埋葬が続けられています。副葬品の様子から古墳時代の有力豪族が世代を経る中で奈良時代に律令官人になっていく過程を知ることができる点で大変重要です。隠岐諸島では、古墳時代後期以降、横穴墓などを中心に墳墓の造墓が活発になります。古代の隠岐を考える上で古墳時代後期は大変重要な時期といえるでしょう。

 この前の段階の古墳時代中期においても少数ながら古墳が築造されています。大座西古墳群のすぐそばには大座古墳群が築造されています。そのうち1号墳は5世紀中ごろに築造された一辺10mの小型の方墳でありながら、全長約1mの長大な鉄刀や鉄斧、鍬鋤先などの農工具が副葬されています。

大座1号墳主体部(近藤正資料より)

 副葬品のうち、鉄刀は刀身本体の特徴や装具の様子から倭装大刀と呼ばれるもので、大和王権から配布されたものと考えられます。小型の方墳でありながら豊富な副葬品をもつ点や大和王権とのかかわりを知ることができる点は重要です。

大座1号墳出土遺物(隠岐の島町教育委員会所蔵)

 さらに、この古墳の埋葬施設の中に納められた土器にも大きな特徴があります。その土器は高坏と呼ばれるものですが、脚部がなく、坏部のみが出土しています。出土状況などから、埋葬に用いられた枕であると考えられます。この土器枕の習俗は古墳時代中期では東伯耆あるいは因幡でみられる習俗です。このことから大座1号墳の被葬者は現在の鳥取県東部の葬送儀礼で埋葬されており、それらの地域との深いかかわりがある人物と考えることができます。

 このように大座1号墳は小型の方墳ですが、副葬品を丹念に紐解くことで大和王権との関係や他地域との交流などをうかがうことができます。古墳時代を考えるうえでは大型の古墳が注目されがちですが、小型の古墳から知ることができることもたくさんあります。大座1号墳は他地域との交流などの面も含めて、これまで実態が不明な点の多かった古墳時代中期の隠岐を知るうえで重要な古墳と評価できるのです。