第15話 加賀神埼の伝承
平石充 主席研究員
(2022年1月23日投稿)
松江市島根町加賀にある加賀の潜戸は、たいへん規模の大きな海蝕(かいしょく)洞窟で、遊覧船で訪れたことのある方も多いと思います。この加賀の潜戸には小泉八雲が1891年に訪れており「洞窟を過ぎるときに船頭のお婆さんが石で船の舳先(へさき)をたたいて大きな音を出して通った」という体験談を記しています(『知られぬ日本の面影』)。
なぜ大きな音を立てないといけないのでしょうか?この大きな音を立てるという話は、さらに遡って約1300年前、733年に書かれた『出雲国風土記』のなかにもみえるのです。それによると、もし音を立てずに通り過ぎた場合、神が現れてつむじ風を起こし、船を転覆(てんぷく)させると記されています。この神の名前については『風土記』にははっきり書いてありませんが、この場所は支佐加比売(きさかひめ)という女神の社があり、佐太大神が誕生した場所と語られていますので、巨大な洞窟という神秘的な地形とあいまって、神が宿る特別な場所と考えられていたことは確かでしょう。
つぎに神が船を覆すことについて、加賀潜戸のある岬の地名、加賀神崎から考えてみます。カンザキという地名は全国にありますが、古代からあるカンザキ地名の由来が重要です。まず、肥前国(ひぜんのくに)神埼郡(佐賀県の神埼市・吉野ヶ里町など)については『出雲国風土記』と同じく奈良時代に編纂された『肥前国風土記』に由来が記されており、それによると、ここにはかつて荒ぶる神がいて往来する人を殺していたが、崇神(すじん)天皇がこの地をめぐったことで神が和らいだ、以後、障害はなくなったので神崎と呼ぶのだ、とされています。
同じような話は『播磨国(はりまのくに)風土記』にもみえます。播磨国賀古郡の神前(かんざき)村(兵庫県明石市林崎付近か)では、やはり荒ぶる神がいて往来する船の半分を通れないように妨害したとされます。
これらの伝承から、古代人は、勢力の強い神がいて往来が困難な場所をカンザキと名付けたことがわかります。加賀神崎も神が宿る場所とされ、かつ島根半島の突出部にあたり日本海を船で東西に移動する場合の難所でもあり、このような説話が生まれたのだと考えられます。 さて、加賀神崎の伝承は『風土記』の時代から小泉八雲の時代まで、とぎれることなく加賀で言い伝えられてきたのでしょうか?「この洞窟で神が誕生したという話を聞いた」と言う記録が江戸時代にもありますので(『懐橘談(かいきつだん)』)、加賀神崎が特別な神の宿る場所であるということは、おそらく『風土記』の頃から現代まで途切れることのない言い伝えだと考えられます(残念ながら「大きな音を立てる」ことについては、言い伝えが連続しているかどうかわかりません)。この意味において、加賀の潜戸は現代に生きる『出雲国風土記』の舞台、ということできるでしょう。