いまどき島根の歴史

第170話 白潟地区の江戸時代の暮らし

神柱 靖彦 島根県埋蔵文化財調査センター調査係長

(2025年6月11日投稿)

 松江市の中心部、大橋川南岸に位置する白潟地区。この地が江戸時代の松江城下町として発展してきたことはよく知られています。島根県埋蔵文化財調査センターでは、2021(令和3)年度からこの「松江城下町遺跡白潟地区」(写真1)の発掘調査を行ってきました。

写真1 白潟の街並みと発掘調査区

 調査は大橋川改修事業に伴い実施しており、確認された遺構や遺物によって町の成り立ちや人々の暮らしが明らかになりつつあります。

 昨年度の調査では、江戸初期から明治期にかけての町屋跡や道路跡、区画溝などの遺構が確認され、城下町としての都市構造とその変遷が垣間見えました。とりわけ注目されたのが、1700枚を超える寛永通宝などの銭貨の出土です。これは通常の遺跡と比べても非常に多く、白潟が城下町の中でも特に商業活動が盛んだったことを示しています。

 さらに、銀での決済に使われたとみられる秤≪はかり≫の竿≪さお≫や分銅≪ふんどう≫も複数見つかり、貨幣経済が浸透し、白潟が城下の経済を支える拠点であったことがうかがえます。

 文化面での発見も興味深い成果がありました。町屋の庭先から発見された2カ所の「水琴窟≪すいきんくつ≫」は、小さな穴の開いた甕などを逆さにして地中に埋め、上から落ちる水滴が反響する音を楽しむ仕掛けです(写真2)。

写真2 発掘調査で出土した水琴窟に使用された甕。使用時は土中に完全に埋められていた=松江市白潟本町

 静寂の中に響く澄んだ音色は、単なる装飾ではなく、音を通じて自然と調和する美意識や、日常の中に静けさを見出す江戸時代の感性を物語っています。

 これはいにしえの白潟の町での暮らしが、心を潤す音とともにあったことの証でもあります。

 遺跡に隣接する大橋川の岸辺には、古くから船着き場がありました。明治の文豪・小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)も、松江に到着した際には汽船でこの船着き場に降り立ち、対岸沿いの旅館に滞在しています。

 著書『知られぬ日本の面影』には、早朝の町に響く杵の音、寺の鐘の音、橋を渡る下駄≪げた≫の音など、川辺の町の暮らしを彩る「音の風景」が印象的に描かれています。

 こうした音は、町の営みを伝えると同時に、人々の記憶にも深く刻まれていたのでしょう。これから放送されるNHKの朝ドラ『ばけばけ』では、八雲が見聞きした松江の町の人々の暮らしや音風景が描かれるかもしれません。白潟の町では、いま発掘調査によって当時の街並みや人々の営みが徐々に明らかになっています。