第172話 砂丘に埋もれた遺跡
榊原 博英 特任研究員
(2025年6月25日投稿)
江津市西部から浜田市東部には海岸砂丘が広がり、しまね海洋館アクアス、夏には国府、波子≪はし≫、浅利など海水浴場がにぎわいます。飛砂≪ひさ≫(風成砂)と呼ばれる海岸の砂が強い海風で内陸に吹き寄せられ、長い年月をかけて砂丘地形を築き上げました。
現在見られる砂丘の断面を良く観察すると、写真のような黒い帯の「クロスナ層」が挟まっています。

土器や石器などの遺物が見つかることもあり、人が住んだ時代の地面であったことを示しています。クロスナ層は、砂丘の形成が一時的に止り、その上に草木が定着し腐植に富んだ土壌です。
かつて、アクアス、石見海浜公園がある砂丘地一帯で砂取工事が行われ、多くの縄文時代の土器と石器、弥生から古墳時代の土器が採取されました。1974年の浜田高等学校考古学部『波子遺跡遺物の研究』によれば、「先づその位置、面積、散布の状況を調査記録した上一斉に地上採集にとりかかった。種類も量も意外に多いので一同時の経過も忘れて二時間近く作業した」とあるように多くの遺物が見つかったようです。
その後、この砂丘地帯の地質学的研究が行われました。

図のように砂丘に上下2層のクロスナ層があり、下位クロスナ層は出土した土器から縄文時代から古墳時代、上位クロスナ層は木炭片の年代測定から10世紀後半から11世紀前半頃と考えられています。このことから波子遺跡で見つかったクロスナ層は、下位クロスナ層であったと考えられます。
さらに1987年から石見海浜公園建設に伴い、大平山遺跡群として江津市側の波子遺跡、浜田市側の大平浜遺跡で発掘調査が行われ、下位クロスナ層を中心に多くの遺物が出土しました。驚くのは、表層の砂を5〜6m、場所によっては10m以上も取り除かないとクロスナ層が見つからない地点もあり、砂の堆積は想像以上に分厚いことがわかります。
鳥取砂丘の研究成果を参照すると、当初は砂丘がせまく海岸線も奥に入っていましたが、特に15世紀以降から現在まで砂丘形成が進み、場所によっては冬の季節風で10m近い砂が遺跡を覆ったのかもしれません。
近年の江津市西部沿岸の調査で、砂丘の状況がわかりつつあります。青陵中学校敷地では10m下でクロスナ層は確認できず、津宮小学校ではボーリング調査で10.5m下から土器片が見つかっています。近年調査された隣接する本驛≪ほんえき≫遺跡では、厚さ1.5~2mの砂の下から、平安時代終わり頃の集落跡が見つかりました。鎌倉時代の遺物は少なく、環境変化などで別の場所に移ったかもしれません。さらに古い、古墳時代から平安時代頃の遺物も多く出土しており、現在も整理作業中です。今後、さらに砂丘遺跡の実態が分かるかもしれません。
砂丘は表層が柔らかく、足で踏むとわずかに沈み込む感触があります。その下には、まだ誰の目にも触れていない遺跡が残されているかもしれません。