いまどき島根の歴史

第182話 須恵器生産と「大井の池」―現代に息づく『出雲国風土記』―

柿田 愛子 特任研究員

(2025年9月10日投稿)

 島根県に『出雲国風土記』という書物があります。奈良時代の出雲国の特産物や土地の様子、地名の由来、言い伝えなどが記録され、733年(天平5年)に完成しました。現存する風土記は常陸≪ひたち≫(茨城県)・播磨≪はりま≫(兵庫県)・出雲・豊後≪ぶんご≫(大分県)肥前≪ひぜん≫(佐賀県・長崎県)の5つがあります。その中で『出雲国風土記』は、唯一ほぼ完全な状態を残す大変貴重な資料です。

 『出雲国風土記』に登場するのは松江市、出雲市などに所在する地名、神社、寺院などであり、さらに山、川、池、島、海岸、浦などの自然も網羅しています。そのほとんどの地名や神社名は現在も残っており、漢字は違えども、読み方は約1300年前から大きく変化していないことが分かります。

 島根県古代文化センターでは、発足当時から現在に至るまでの30年余り『出雲国風土記』研究を行っており、最新の研究成果として今年3月に書籍を刊行しました。『出雲国風土記』をありのまま、かつコンパクトにまとめてあります。今回は、この本を片手に訪れてみてほしい登場地を紹介しようと思います。

 それは、島根郡朝酌郷、現在の松江市朝酌町・大井町・大海崎町周辺です。『出雲国風土記』には「大井浜、則ち海鼠≪こ≫・海松≪みる≫あり。又、陶器を造れり」という記述があります。「陶器」は「すえもの」と読み、古墳時代から平安時代にかけて作られた「須恵器」という土器です。

 大井町周辺には須恵器の窯跡がいくつも分布しており、岩汐≪いわしお≫・ババタケ・廻谷≪さこたに≫・寺尾・山津・池ノ奥・明曽≪みょうそ≫・勝田谷≪かつたたに≫・唐干≪からぼし≫・四反田≪したんだ≫窯跡と多数見られます。

 大井での須恵器生産は5世紀末頃にはじまり、6世紀後半には出雲地方最大の須恵器生産地となりました。いずれも須恵器窯の窯壁の一部や塊が見られ、操業時に高温になることで、窯壁や須恵器が溶けた痕跡があるものが確認されています。また、須恵器同士が溶着したり、焼成途中で割れたり、生焼けの状態だったり、窯道具がくっついたままなどの失敗作を廃棄するのも窯跡ならではの出土品です。

 私も幸運なことに、山津窯跡、岩汐窯跡の調査に参加したことがあります。窯跡の下部には灰原という黒い灰がおびただしく検出され、その中から途方もない数の須恵器が出土したことを今でも鮮明に覚えています。

 これらの窯跡が分布する大井町の中心には、大井神社が鎮座しています。

大井神社 木々の奥に本殿が鎮座する(左下は大井の池)

 神社の左脇には「大井の池」という湧水があり、島根の名水100選に選ばれています。

大井の池 水の透明度と鮮やかな緑色の藻が清浄さを物語る

 池のほとりの看板に「風土記時代から今日まで清冷な清水がいかなる日照りにも涸れることもなく湧出し飲料水や灌漑用水として利用され神池として尊ばれた 大井町の地名、大井神社の称号もこの池によるといわれている」と書かれているように、大井の「井」はこの湧水を表しています。透明度がとても高く、美しい水が滾々≪こんこん≫と湧き出る泉です。

 この土地で生きてきた人々の営み、須恵器生産、生活の礎となった大井の池のように、『出雲国風土記』には現代に息づく連綿とした歴史が記されています。秋口、涼しくなったら、ぜひ地元の神社や遺跡を歩いてみませんか。