第196話 絵馬の由来―午年《うまどし》によせて―
橋本 剛 主任研究員
(2026年1月13日投稿)
年始の初詣では、寒空のもと、新年の目標や家族の健康などの願いを絵馬に書かれた方も多いのではないでしょうか。受験や就活シーズンにも目にする機会は増え、すっかり定着しているこの風習ですが、そもそも絵馬はどのようにして生まれたのでしょうか。
その起源については民俗学を中心に諸説あります。神様へ祈りを捧《ささ》げる際にその乗り物としての馬を奉納していたところを、代わりに絵馬を用いるようになったという説、疫病《えきびょう》流行の際に祟《たた》り神を馬に乗せ、その地域から追い出すという考え方がもとになったという説、などなど…。これらの説は、神様の乗り物として馬(絵馬)を捉えている点で共通しています。
ところで最近、まったく別の視点から絵馬の起源を説く研究が登場しました。それは、馬の繁殖《はんしょく》のため天皇などから種牡馬《しゅぼば》が与えられることがあり、それが絵馬で代用されるようになったという説です(川尻秋生《あきお》氏)。つまり絵馬には、もともと馬の繁殖を祈る意味があったのではないか、というものです。もちろん由来を一つに絞る必要はありませんが、この説にもとづくと、絵馬が出土する遺跡の周辺には牧など馬を生産・飼育する施設が存在した可能性があることになるでしょう。
地方において古代の絵馬が出土する事例は決して多くありませんが、島根県では出雲市東林木町の青木遺跡で8世紀中頃~9世紀初頭の絵馬が1点出土しています。馬は左向きで頭をもたげ、右の前脚を上げる姿で描かれており、馬具も装着しています。この遺跡は荘園開発の拠点などとも想定されていますが、絵馬の出土とあわせて、周辺に牧があった可能性も考えなければなりません。

絵馬の写真をよくみると、上部に孔《あな》があけられていることがわかります。全国で出土した絵馬にはこのような事例が少なくありませんが、これは良質な馬の生産を祈念して、絵馬が牧の周辺に掲げられたことを示すのではないでしょうか。
なお、青木遺跡から西方に2㎞ほど行くと山持《ざんもち》遺跡(出雲市西林木町)があり、そこから出土した木簡には「馬道部殿」という文字が記されていました。古代の当該地域は、南北に走る官道に加えて、宍道湖や斐伊川にも近接した水陸交通の要衝であり、「馬道部殿」とは馬を使用した輸送集団を率いる、地域の有力者だったとみられています。青木遺跡との関係は不明ですが、馬の存在を裏づける資料と考えられます。
青木遺跡の周辺に牧があったかどうかはさらなる検討を要しますが、いずれにしても絵馬の出土は、牧の存在やその所在を考える一助になるはずです。
さて、年が明けて早2週間が過ぎました。初詣の機会を逃した方も、まだまだ遅くはありません。“絵馬に書く”とまではいかなくとも、夢や目標を胸の内に高らかに掲げ、午年の一年を駆け抜けましょう。