いまどき島根の歴史

第202話 分銅形土製品の謎

藤原 孝大 埋蔵文化財調査センター主事

(2026年3月5日投稿)

 あなたは「分銅形《ふんどうがた》」を想像できますか?難しければ、丸いあんパンの左右に一度ずつかぶりついてみてください。両側から丸くえぐられたその形こそが、分銅形です。

西川津遺跡出土 分銅形土製品

 分銅とは、江戸時代の天秤《てんびん》に使用された、一定の重さの基準となった金属製のおもりです。松江城主《まつえじょうしゅ》・堀尾《ほりお》氏の家紋《かもん》や、銀行を示す地図記号としても、見かけることがあります。

 ところで、はるか昔の弥生《やよい》時代の中頃から、分銅によく似た形のアイテムが流行していたのはご存知ですか?その名もずばり、「分銅形土製品《ふんどうがたどせいひん》」。一体、どのような役割を担っていたのでしょうか。

 分銅形土製品は、瀬戸内海周辺から山陰を中心に分布し、島根県内では19の遺跡で合計65点が確認されています。多いようにも思えますが、土器のような大量に製作・使用された日用品には及びません。松江市の西川津遺跡《にしかわついせき》から出土した例を見てみましょう(写真)。手のひらサイズの奇妙な形に整えられたその表面が、不思議な文様《もんよう》で飾られています。側面から表面への貫通孔《かんつうこう》をもつものもあり、何かを差し込めそうです。これらの特徴から、分銅形土製品は日用品ではなく、祭祀具《さいしぐ》(マツリの道具)だと考えられています。

 また、山口県や愛媛県では立体的な眉・鼻をつけて目・口を描いた顔が、島根県を含む岡山県を中心とした地域ではⅯ字の文様で表された顔が、上半部に描かれた例も見られます。途端に可愛らしく思えてきますね。しかし、「どんなマツリに使用されたの?」「誰の顔が何の目的でつけられたの?」と問いかけても、彼らは何も語りません。

 そんな分銅形土製品ですが、各地の出土《しゅつど》例を見ていて気づいたことがあります。それは、一つ一つが個性を持っているということです。大きさや形状、文様の細部までそっくりなものはほとんどありません。もちろん、地域ごとにスタイルは似通っていますが、特定の製作者が量産した、所属する集団のアイデンティティたる土器とは、異なる印象を受けます。つまり、分銅形土製品は、それを欲した個人や一家族などの少人数によって、直接手作りされたものではないでしょうか。銅鐸《どうたく》などの青銅器《せいどうき》を使って、豊作《ほうさく》などムラ全体の利益を願ったのであろう大人数のマツリとは違い、弥生人の個人的な願いを聞いてくれる存在だったのかもしれません。

 弥生時代の後期に、分銅形土製品は一斉に姿を消していきます。願いが叶い必要がなくなったのか、別のものに祈り始めたのか、生活や社会の変化によってその行為をやめざるを得なかったのか…。謎だらけの分銅形土製品から、今後も目が離せません。 

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