いまどき島根の歴史

第26話 ひな祭り

浅沼 政誌 主任研究員
(2022年4月12日投稿)

 4月は、入進学や就職、異動の季節ですね。この時期は、桜も見事に咲きそろって、社会全体に初々しさや華やかさが感じられます。こうした中、島根では月遅れのひな祭りが4月3日に行われます。

 ひな祭りは「桃の節供(または節句)」とも呼ばれるように、桃の花が咲く時期でもあります。全国的には3月3日ですが、この時期は桃の花もまだ咲かないころであり、できるだけ季節感を感じることができる月遅れで実施されてきたといわれています。

 現在のような、きらびやかな人形が飾られるようになったのは江戸時代からで、明治以降に全国に広まります。島根では、広く普及したのは昭和の時代に入ってからのようです。

 飾る時期は、おおむね3月3日から4月3日の間で、ひな人形のほかに、桃の花や菱餅《ひしもち》、草餅やちらし寿司《ずし》、あられ、甘酒などを供えることが広く見られます。出雲地方では、いが餅(花餅とも)と呼ぶ、亀や松、梅の花などの菓子型を使って団子餅を作るところもあります。

ひな人形(明治から昭和の時代に流行した御殿付きのタイプ)

 現在は女子の節供として知られるひな祭りですが、中国地方においては、男女の節供となっており、子どもが生まれた年の初節供には、母親の実家や親戚から女児にはひな人形、男児には立ち姿の天神人形が贈られる風習があります。この天神人形も昭和時代初めごろまでは、土製の人形が贈られていました。

 島根県内の製造地では、松江市横浜《よこばま》町や出雲市今市町、同市斐川町沖洲《おきす》、浜田市長浜町などがよく知られ、製品はそれぞれ「横浜天神」「今市天神」「沖洲天神」「長浜天神」と地名をつけて呼ばれていました。

立ち姿の天神人形

 そもそもひな祭りの日は、人の形を描いた人形《ひとがた》と呼ばれる紙で、身体をなでて災いを移し、川に流すということが行われていました。鳥取市用瀬町《もちがせちょう》の流しびなは、その名残です。

 これがしだいに人形の鑑賞のほうに関心が移り、ひな人形を飾ることと、女子の節供が強調される習俗に変化したといわれています。男女ともに人形を贈る習俗は、ひな祭りが女子だけの祭りではなかったという痕跡を示しています。

 今年も各地で飾られたひな人形。子どもの健やかな成長ばかりでなく、新型コロナの災厄も流し去ってくれることを願うばかりです。