いまどき島根の歴史

第27話 火山灰に埋もれた縄文の森とムラ

角田 徳幸 古代文化センター長
(2022年4月19日投稿)

 日本からおよそ8千㌔。南太平洋に浮かぶトンガで今年1月15日に発生した巨大噴火は、豊かな南の島に大きな被害をもたらしました。噴火で発生した津波は島々を襲い多くの家屋が倒壊したほか、火山灰による交通や通信障害で被害状況の把握にも支障をきたしたといいます。その影響は、遠く離れた日本にも及び、太平洋沿岸では津波のため漁船が沈没したり、転覆したりする被害が出たことは記憶に新しいところです。

 このような噴火災害は、火山国・日本ではいつ起きても不思議ではありません。高さ10㍍を超える縄文時代のスギが残ることで知られる大田市三瓶町の天然記念物・三瓶小豆原《あずきはら》埋没林は、今から4千年前、三瓶山が噴火した際に発生した斜面崩壊などによって、スギ林が立ったまま埋まったものです。

 三瓶山麓の巨大な〝埋もれ杉〟の存在は、地元では早くから知られていました。春の田起こしの際に、その上部が農機具に引っかかり、邪魔者扱いされていたからです。1983年の圃場《ほじょう》整備の際には、〝埋もれ杉〟が重機で掘り出されましたが、10㍍掘り下げても抜くことができず、途中で切られています。

 その際に撮られた写真が地元の地質学者・松井整司さんの目にとまったことで三瓶自然館などが調査を行うことになり、三瓶小豆原埋没林は1998年に発見されます。

圃場整備中の埋没林(島根県立三瓶自然館提供)この写真が埋没林発見の端緒となった。

 三瓶山の東側を流れる神戸川周辺では、そのちょうど数年前から、志津見ダムの建設工事に先立って予定地内にある遺跡の発掘調査が実施中でした。一帯には、地元で〝ハイカ〟と呼ばれる三瓶山の火山灰が広がっています。

 当初は、火山灰に埋もれた遺跡があるとは思ってもみませんでしたが、1994年、飯南町・板屋Ⅲ遺跡の発掘調査では火山灰の下から縄文土器が出土しました。三瓶山が噴火活動を繰り返していた頃、山麓には縄文人が暮らすムラがあったことが、初めてわかったのです。

 板屋Ⅲ遺跡では、縄文土器を含む層と火山灰の関係を明らかにするため、調査区の一部を深く掘り下げました。そうしたところ、三瓶山の火山灰と、その活動休止期に植物が繁茂してできた黒色土が幾重にも重なっていました。この黒色土の中には、縄文土器や石器が含まれています。

 松井さんら地質学者の指導を得ながら火山灰の噴出年代を検討した結果、縄文時代には1万年前、5500年前、4千年前に噴火活動があったことが分かりました。三瓶小豆原埋没林を形成した火山活動は、4千年前のものですが、山麓には縄文人のムラが点在しており、彼らはスギ林を駆け回っていたかもしれないのです。

板屋Ⅲ遺跡の土層(島根県埋蔵文化財調査センター提供)白くみえるのが縄文時代に噴出した火山灰。下層の三瓶浮布《うきぬの》火山灰・軽石は大噴火に伴うもので、近畿地方南部でも確認されている。

 ムラの中には火砕流に襲われたものや、火山灰に厚く覆われてしまったものもあり、住み慣れた家から避難せざるを得なかった縄文人も少なくなかったことでしょう。

 三瓶小豆原埋没林と山麓の縄文時代遺跡は、自然の猛威の前には人はあまりにも無力な存在であることを物語っています。