第32話 松江の「密」な古墳群
吉松 優希 主任研究員
(2022年5月24日投稿)
「密です!」。2020年の新語・流行語の大賞は「3密」でした。新型コロナウィルス感染拡大防止のための注意喚起として認知度がアップしましたが、最近は皆さんの身に染みついている言葉になりました。
松江市には思わず「密です!」と、言いたくなるような密集度で形成された大草丘陵《おおくさきゅうりょう》古墳群があります。大草丘陵古墳群は松江市大草町に所在しており、東百塚山《ひがしひゃくつかやま》古墳群や西百塚山《にしひゃくつかやま》古墳群などで構成されます。この古墳群では、東西約1.2㌔ほどの丘陵の端から端まで300基以上の古墳や横穴墓が密集しています。
中には四隅突出型墳丘墓《よすみとっしゅつがたふんきゅうぼ》も含まれており、この丘陵が弥生時代後期から使われていたことがわかります。その後も、古墳時代前期から古墳時代後期まで連続して、古墳や横穴墓が築造され、島根県でも最大規模の古墳群を形成しているのです。
この古墳群の中でひときわ異彩を放っているのが、5世紀前半ごろに築造された西百塚山19号墳です。大草丘陵古墳群では、多くの古墳が一辺10~20㍍ほどの方墳と呼ばれる四角形のマウンドを持つのに対し、この古墳は直径40㍍以上の円墳なのです。
大草丘陵古墳群の中には少ないながらも円墳は存在していますが、西百塚山19号墳ほどの規模の古墳は、ほかにはありません。また、古墳群の中でも最高所に位置することから、西百塚山19号墳の被葬者《ひそうしゃ》は古墳群を形成するに至った盟主的な人物だったのでしょう。
ところでこの古墳群を形成した人々はいったい、どこに住んでいたのでしょうか。それを解き明かすヒントは、大草丘陵古墳群のすぐ北側、意宇《おう》平野に所在する史跡出雲国府跡にあります。
出雲国府跡の発掘調査では、奈良時代の建物などの下に、古墳時代の竪穴建物や溝などがあることが分かっています。また、豪族居館《ごうぞくきょかん》の可能性がある大型区画の存在も指摘されています。一見「この地が大草丘陵古墳群を形成した人々の集落だ!」と思ってしまいそうですが、そう簡単ではありません。
実は同じ時期、意宇平野の北側にあたる大橋川の沿岸にも、廟所《びょうしょ》古墳などの大型の方墳が築造されます。この大型の方墳は、畿内王権との関係が指摘されており、意宇平野の開発に携わった人物がその被葬者であるとも言われています。
西百塚山19号墳と廟所古墳、二つの大型の古墳は、形も円と方で対照的です。皆さんはどちらの古墳が、意宇平野の古墳時代集落に大きな関わりがあると思いますか。そして、休日の過ごし方に「密」な古墳群の「密」な古墳時代ツアーなどはいかがでしょうか。